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(340)源範頼

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登場人物:源範頼、源義経、徳大寺実定

 元暦元年(1184年)9月28日(27日か)、都では除目が行われ、九郎判官義経が五位尉に叙され、九郎大夫判官と呼ばれました。そうして、10月になりました。

 屋島では、浦に吹く風も激しく、磯に寄せる波も高く、敵は攻め寄せず、商人の往来もまれで、都のうわさも聞かず、空は曇り、あられが降り、消えてしまいそうな心地がしていました。

 都では、天皇即位後に初めて新穀を神に供える儀式である「大嘗祭」を行うべしとなり、10月3日、新帝・後鳥羽天皇が禊のために行幸しました。諸事を弁ずる大臣は内大臣・徳大寺実定が務めました。

 一昨年の安徳天皇の禊の行幸の時は、平宗盛が実定の役目を果たしました。節旗の下の幕屋に到着し、鳳龍の旗を立てて鎮座する姿、冠のかぶり方、袖のかかりぐあい、袴の裾までも、極めて見事に映りました。宗盛のほか、平知盛、平重衡以下の一門が、近衛の司、綱持ちに同行し、こちらも比類なく立派なものでした。

 今回は、源義経が、後鳥羽天皇の行幸の先陣に供奉しました。源義仲などとは違い、もってのほか都慣れした様子でしたが、平家の中の残りかすよりもなお劣っていました。

 10月18日、大嘗会が形式ばかりに遂げられました。

 去る、治承・養和のころから、諸国七道の人民・農民らは、平家のために悩まされ、あるいは、源氏のために滅ぼされました。かまどや家を捨てて山野に逃げ、春の耕作を忘れ、秋の収穫もありません。どうして、大嘗会などという大礼を行うべきなのかと思われましたが、やるべきことなので、形だけ執り行われました。

 源範頼が、すぐに平家を追撃していれば、平家はたやすく亡んだでしょう。しかし、範頼は、室(むろ、兵庫県の室津)や、高砂に腰を据え、遊男・遊女を呼び集め、遊び戯れて、月日を送りました。東国の大名・小名は多くいましたが、大将軍の範頼の下知で動きますので、どうにもなりませんでした。

 ただ国の費え、民のわずらいのみが積もり、元暦元年も暮れました。

(2012年2月4日)


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