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(336)平頼盛

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登場人物:源頼朝、平頼盛、宗清、後白河法皇、平田定次

 寿永3年(1184年)4月1日、改元があり、元暦と号しました。

 その日に除目が行われ、鎌倉の前右兵衛佐・源頼朝が、正下四位に叙されました。もとは従下五位だったので、一気に5段を越えた、任官でした。

 4月3日には、崇徳上皇の霊を慰めるため、崇徳上皇を神としてまつろうと、保元の乱で合戦のあった大炊御門(おおひのみかど)のはずれに社を建てて、遷宮の儀式が行われました。これは後白河法皇の沙汰で、後鳥羽天皇には知らせなかったといいます。

 5月4日、都落ちのさいに平家を捨てて頼朝に心を寄せた池大納言・平頼盛が関東へ向かいました。常々、頼朝は頼盛に情けをかけ、「頼盛殿のことはまったくおろそかに思っていない。ひとえに、私の命を救ってくれた頼盛殿の母・池の禅尼の代わりと思っている。八幡大菩薩に誓う」など、度々、誓紙を送っていました。しかし、頼盛としては、そういうのは頼朝だけで、ほかの源氏らはどう思うだろうと覚束なく思っていました。そこに、鎌倉から使者が来て、「急ぎ下されたまえ。故尼御前にお目にかかると思って、お会いしたい」と頼朝が言ってきたので、頼盛が鎌倉へ行くことになりました。

 ここに、弥平兵衛・宗清という侍がいました。平頼盛の家人の第一の者でしたが、頼盛の供をして関東へ下ることはありませんでした。頼盛が、「どうしてだ」と問うと、宗清は答えました。

「君はそのように鎌倉へ下向されるといえども、平家御一門の公達が西海の波の上に漂っていることが心苦しく、一門の方々がいまだどこにも落ち着いていないので、悲しんでいます。私はしかる後に、後から追いかけてでも参りましょう」

 頼盛は恥を知り、心苦しく思い、告げました。

「まことに一門と別れ、都に落ち着いたことは、われながら心苦しい。しかし、さすがに、命は惜しく、身も捨てがたいので、留まったのだ。この上は、鎌倉へ行かないわけにはゆかない。はるかの旅路に出るというのに、どうして見送りをしないことがあろうか。いっしょに関東へ行かないというのなら、どうして、一門が都から落ちるときに、そう言わなかったのだ。大事・小事、すべてはそなたと相談したはずだ」

 宗清は居住まいを正して、告げました。

「ああ、身分の高い低いにかかわらず、人の身にとって、命ほど惜しいものはありません。なので、『世の名利財宝を捨てたとしても、身は捨てない』と伝えられています。頼盛殿が留まったことを悪いと思っているわけではありません。頼朝殿も甲斐なき命を池の禅尼に助けられたからこそ、今日の勢いがあるのです」

「頼朝殿が流罪になるとき、故尼御前の命で、私が近江国の篠原の宿まで頼朝殿をお送りしたことを、頼朝殿は忘れてはいないと思います。今回、頼盛殿の供として鎌倉へ行けば、定めて、頼朝殿は、宗清に、引き出物を用意し、饗応して迎えてくださるでしょう。それを思っても、西海の波の上に漂っている一門の君達、また、仲間の者たちがいまだ帰れずにいることが悲しい」

「はるかの旅路に出られることはまことに心配の尽きぬことではありましょうが、もし出陣とあればまっ先に先陣をきりますが、今回は私がお供しなくとも大丈夫です。もし、頼朝殿が、宗清はどうしたとお尋ねになったら、あいにく病気になったとおっしゃってください」

 宗清は涙を抑えて、そう告げました。これを聞いた侍たちは皆、袖を濡らしました。頼盛は、不快で心苦しく思いましたが、こうまで言うのなら仕方がありませんので、すぐに立ち上がりました。

 5月16日、頼盛は関東に到着しました。急ぎ、頼朝に対面しました。頼朝はまず、「宗清はどこだ」と問いました。頼盛は、「あいにく病気になりまして」と告げました。頼朝は続けました。

「なんと、病気になったと。なお意地だてするか。先年、頼朝がかの宗清のもとに預けられた時、事に触れて、情け深くしてくれた。ああ、いっしょには来なかったのか。早く会いたいと思っていたのだが、恨めしくも来なかったと」

 頼朝は、宗清の知行を保証する荘園状をたくさん用意し、様々な引出物も山のように積んでおり、頼朝がそのようなので東国の大名・小名もこぞって引出物を用意して待っていました。しかし、肝心の宗清が来なかったので、用意したかいがなくなってしまいました。

 6月9日、頼盛は都への帰途につきました。頼朝は、「今しばらくいてください」と止めましたが、頼盛は急におぼつかなく思えて、すぐに出発しました。頼朝は、後白河法皇に、頼盛が知行する荘園と私領を保証し、大納言に復職させるように、申し伝えました。頼朝から贈られた鞍置き馬は30頭、裸馬30頭、長持30個に、黄金、絹の巻物、染め物のようなものを入れて運びました。頼朝がこのように厚くもてなしたので、東国の大名・小名たちは、われもわれもと頼盛に引出物を贈りました。馬だけでも300頭にのぼりました。頼盛は、命が助かっただけでなく、金持ちになって帰ってきました。

 6月18日、肥後の守・貞能の伯父の入道・平田定次を先頭に、伊賀・伊勢両国の平家に心を寄せる官兵らが近江の国に討って出ました。しかし、近江の源氏の一党らが馳せ向かい、20日には、平家勢力は持ちこたえることができず、攻め落とされました。平家恩顧の家人たちで、昔のよしみを忘れていなかったとはいえ、挙兵を思い立ったことは不相応なことでした。三日平氏とはこのことをいいます。

(2012年2月2日)


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