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(329)横笛

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登場人物:平維盛、斎藤時頼、斎藤茂頼、与三兵衛重景、石童丸、武里、横笛

 平維盛は自身は屋島にいながら、心は妻子がいる都にありました。故郷に残してきた北の方と幼い子どもたちの面影だけが思い浮かび忘れることができません。このようにして生きていてもかいのない身なので、寿永3年(1184年)3月15日の暁に、密かに屋島の館を忍び出て、与三兵衛重景、石童丸という童、また、船に心得があるというので、武里という舎人の3人を連れ、阿波の国の結城の浦から船に乗り、鳴門の沖を漕ぎ、紀伊の国へ渡りました。

 維盛は、和歌の浦、吹上の海岸、衣通姫(そとおりひめ)が神として現れたという玉津島の明神、日前国懸明神の前を過ぎ、紀の川の川口の湊に着きました。そこから山伝いに都へのぼり、恋しき者たちを今一度見て、また、自分の姿を見せたいと思いました。しかし、叔父の平重衡が生け捕りにされ、京都・鎌倉に恥をさらしたと聞くことさえ口惜しいのに、そのうえ、自分の身が捕らわれて、亡父・平重盛の名を汚すことも心憂く、千回、都へ行きたいと思いましたが、逢いたい心と、逢ってはならないと思う心が戦い、高野山へ参詣しました。

 高野山には、年来から知己を結んでいた聖がいました。三条の斎藤左衛門茂頼の子で、もとは滝口の武士・斎藤時頼といって、小松殿に仕える侍でした。13歳で滝口の武士の詰所に来たのですが、建礼門院の雑役に使われる下仕えの「横笛」という女を、寵愛しました。しかし、父・茂頼がそのことを聞きつけ、「世に聞こえた人の婿として出世の道もつけてやろうと思っていたのに、由緒なき者を思い初めよって」など、かたくなに諌めました。

 しかし、斎藤時頼は、言いました。

「漢の時代に西王母という仙女がいましたが今は存在しません。漢の武帝に仕えた長寿の東方朔も、名を聞くだけで、見ることはできません。老少不定の境は、ただ、極めて短い光の長さの違いほどしかありません。たとえ、長寿といえども、70、80が限界。その中で身が盛んな年は、わずかに20年あまり。夢幻の世の中に、醜い者を片時に見ても何になりましょう。しかし、思いを寄せる者を見ようとすれば父の命にそむくことになる。これは、仏道に導く機縁だ。浮き世をいとい、まことの道に入ろう」

 そうして、時頼は、19歳で出家し、嵯峨の往生院で修行生活に入りました。

 時頼の出家を聞いた横笛は、「私を捨て、出家したことが恨めしい。たとえ世を捨てるにしても、どうして知らせてくれなかったのか。時頼様の意志が固くとも、尋ねて行って、恨み言を言いたい」と、ある暮れ方に都を出て、嵯峨の方へ歩きました。

 時候は2月20日あまりのことなので、梅津の里に春風が吹き、見知らぬ土地ですがなつかしく、大井川に映る月影も霞が立ち込めておぼろになっています。ひとかたならぬ哀れさも、誰のせいだと思いました。往生院とは聞いていたのですが、横笛はしかし、往生院のどの房かを知らず、ここを歩き回り、あそこにたたずみ、尋ねあぐねていたのは無慚です。

 しかし、住み荒れた僧坊から読経の声が聞こえ、時頼の声だと思い、供に連れていた女に、「出家した姿を見て、私の姿を見せたいために、私はここまで来ました」と声を掛けました。

 時頼は、意外なことに驚き、胸が騒ぎ、障子のすき間から覗きました。横笛の裾は露に濡れ、袖は涙にしおれ、少し痩せた顔立ちは、ほんとうに、尋ねこがれた様子で、いかに道心堅固な者でも、心を迷わせるでしょう。しかし、時頼は、人をして、「まったくここにはそのような人はおりません。もし、間違いではないでしょうか」と言わせました。横笛はなお恨めしく思いましたが、詮なく、涙を抑えて帰りました。

 その後、時頼が同宿の僧に語りました。

「ここは世の果てで、仏道修行のさまたげになることはないのですが、そのように別れた女にこの住まいを見られたので、たとえ一度は心を強く持つことができても、また、慕って訪ねてくることがあったら、心動かされるでしょう。いとまを申します」

 時頼は嵯峨を出て高野山へ上り、清浄心院で行を修めていました。そして、すぐに、横笛も出家したことを知りました。

 時頼は歌を一首、送りました。

  剃るまでは恨みしかども梓弓

    真(まこと)の道に入るぞ嬉しき

 横笛から、返歌がきました。

  剃るとても何か恨みむ梓弓

    引きとどむべき心ならねば

 その後、横笛は奈良の法華寺にいました。しかし、時頼への思いが強かったのか、いかほどもなく、死んでしまいました。時頼はそのことを聞き、ますます深く行を修めました。父の斎藤茂頼も、時頼の不孝を許しました。親しき者たちも皆、時頼を信頼し、高野の聖と呼びました。

 平維盛は、この高野の聖に会いました。都にいた時は、布衣に立烏帽子、衣紋を縫い付け、髪を整え、華やかな男でした。しかし、出家の後は、今日初めて見たのですが、いまだ30歳にもならないはずなのに、老僧のようにやせ衰え、袈裟と黒衣には香の匂いが染みついていました。維盛には、時頼の悟りきった道心者の様子がうらやましく思われたのかもしれません。かの晋の七賢者、秦の暴政を恐れ漢の商山に隠れ住んだ人々が暮らしたという商山の竹林の有り様も、ここまでではないだろうと思えました。

(2012年2月1日)


(330)高野山

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