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(328)千手の前

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登場人物:千手の前、平重衡、源頼朝、藤原宗茂、中原親義

 焼き討ちされた奈良の大衆にも言い分があるだろうからという源頼朝の考えで、狩野介・藤原宗茂に預けられた平重衡ですが、宗茂は情けを知る者でしたので、重衡に辛く当たることはなく、細々と労わり、かえって、湯殿を設えて湯を引かせるなど、世話をしました。

 重衡は、旅の途中の汗を流してから首を斬られると思い、湯殿の中で待っていました。すると、少しして、色白で、清らかで、髪の毛のかかる様子がまことに美しい20歳ほどの女房が、鹿の子染めの目結いの衣服に、入浴の際に身に着ける湯巻き姿で、湯殿の戸を開けて入ってきました。その後に、髪の毛は1メートルあまりの童髪で、紺村濃の衣服を着た、14、5歳ほどの童女が、たらいに櫛を入れて入ってきました。

 童女は重衡の世話をし、長く湯を浴びさせ、髪の毛を洗い、その後、いとまごいをする際に、重衡へ声を掛けました。

「男は無骨と思われたのでしょうか、源頼朝殿からの『女はなかなか苦しくないものだ』との仰せで、参りました。何か思い伝えたいことがあればどんなことでも受けたわまってきて、伝えるようにとの頼朝殿の仰せでした」

 重衡は、「今はこのような身となり、何を思うだろうか。ただ、出家したい」と告げました。童女は承わり、頼朝に伝えましたが、頼朝は「それは思ってもいなかった。頼朝の個人的な敵ならまだしも、朝敵として預かっているので、それはできない」と告げました。童女が戻ってきて重衡に頼朝の言葉を伝えました。

 重衡は守護の武士に、「それにしても、ただ今の女房は、優しい者だ。名を何というのだ」と尋ねました。藤原宗茂が「あれは、手越(静岡市近辺)の長者の娘で、見目麗しく、心が優しいので、この2、3年、源頼朝殿に召し置かれている者です。名を、千手の前といいます」と教えました。

 小雨が降り、もの寂しい夜となりました。折節、千手の前が琵琶を持って、重衡のもとにやって来ました。宗茂も、家の子・郎党10人ほどを引き連れてやってきました。重衡に酒を勧め、千手の前が酌をしました。しかし、重衡は少しだけ口をつけて、興のない様子でした。

 宗茂は「すでにお聞きになっているかと思いますが、宗茂は、もとは伊豆の国の者で、鎌倉は旅の宿です。が、心を尽くして奉公いたします。どんなことでも思うことがあれば承れとの頼朝殿の仰せ」と告げ、千手の前を「それ、何か歌でも歌って、酒をお勧めせよ」と促すと、千手の前は、酒を勧める前に、和漢朗詠集の菅原道真の『薄い衣でさえ、重いと言って、その衣を織った機織り女を恨む』という朗詠を、どうしてこのように心を尽くしてもてなしているのに気分を晴らしてくれないのですか、との意を込めて、一両回、繰り返して歌いました。

 重衡はしかし、「菅原道真公は、この朗詠をした者を毎日、三度まで翔けてきて守ろうと誓ったが、重衡は今生ではすでに見捨てられた身。下の句を続けても、どうなるというのだろう。重衡の罪過は重く、歌う気になれない」と告げました。

 千手の前はすぐに、和漢朗詠集から『十悪の罪人といえども、なお、極楽往生する』という朗詠を歌い、「極楽を願う人は、皆、弥陀の称号(南無阿弥陀仏)を唱えるべし」という今様を、4、5回、繰り返し歌いました。すると、重衡が盃を差し出しました。千手の前が受け取り、宗茂に渡し、酌をしました。宗茂が飲む時、千手の前は、琴を弾きました。

 重衡が、たわむれを口にしました。

「いつもはこの楽を『五聖楽(五常楽)』というが、今、重衡のために、“後世楽”と思って聞こう。(楽曲の序破急の末章である急にかけて)よし、往生の急でも弾くか」

 重衡は琵琶を取り、点手をねじり調子を合わせ、唐楽『皇じょう』の終曲にあたる急を弾きました。

 そのようにしているうちに夜がようやく更けて、よろずに心の赴くままに、重衡が、「ああ思ってもみなかった。吾妻にもこのように優しい人がいるとは。何事をさしおいても、まず、いま一声を聞かせよ」と所望しました。千手の前は、『一樹の陰に宿り、同じ流れの水を飲むのも、これ皆、前世からの契りがあってのこと』という白拍子の舞い歌を、たいへん心深く歌いました。重衡も、和漢朗詠集の『燈(ともしび)暗うしては、数行虞氏が涙』という朗詠を歌いました。

 ところで、『燈暗うしては、数行虞氏が涙』という朗詠の心は、昔、中国で、漢の高祖と、楚の項羽が天下を争い、72回も合戦をしましたが、戦う度に項羽が勝ちました。しかし、ついに項羽は戦いに敗れ、滅びました。その時、項羽は、「騅(すい)」という一日に千里を走る名馬に乗り、后の虞美人を乗せて逃げようとしました。しかし、どうしてか、馬が走りません。項羽は、「わが威勢はすでにすたれた。敵が襲ってくることはなんでもない。ただ、今、そなたと別れなければならないことが悲しい」と嘆きました。ともしびが暗く、虞氏は心細さに涙を流しました。夜が更け行けば、高祖の軍兵がときの声をつくりました。その時の心を、橘広相が「燈暗数行虞氏涙、夜深四面楚歌声」の詩に詠いました。重衡がその心を今、思い出して、口ずさんだ歌は、とても優雅に響きました。

 夜も更けたので、宗茂はいどまを告げて、重衡の前から退出しました。千手の前も帰りました。

 翌朝、源頼朝は、持仏堂で法華経を読んでいました。そこへ、千手の前が戻ってきました。頼朝は笑みを浮かべ、「それにしても、昨日の仲立ちは、優雅だったぞ」と告げました。斎院司の次官・中原親義が頼朝の御前で物書きをしていましたが、「何事ですか」と尋ねました。頼朝は口を開きました。

「平家の人々は、この2、3年は合戦にあけくれてほかのことは何もしていないと思っていたが、それにしても、平重衡殿の琵琶をはじく音、朗詠を口ずさむ声、夜じゅう立ち聞きしていたが、とても艶のある人だった」

 親義が、続けました。

「私も昨日は同伴したかったのですが、あいにく、気分が悪く、遠慮しました。今後は、いつも、立ち聞きしましょう。平家は代々、歌人・才人の家柄で、先年、平家の人々を花に例えたところ、重衡殿は、牡丹(ぼたん)でした」

 頼朝は、重衡の琵琶の音色と歌声を、いつまでも忘れませんでした。

 千手の前は平重衡が物思いの種になったのでしょうか、重衡がその後、奈良を引き回されて斬られたと聞くと、すぐに出家して、黒衣に袖を通し、信濃の国(長野県)の善光寺で行を修め、重衡の後世、菩提を弔ったといいます。あわれです。

(2012年2月1日)


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