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(327)平重衡の申し開き

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登場人物:平重衡、源頼朝、梶原景時、藤原宗茂

 鎌倉に到着した平重衡に、源頼朝が詰問しました。

「そもそも、頼朝は君の憤りを鎮め、父の恥を注がんと思い立ったうえは、平家を滅ぼすのは思いのままだと思っていたが、このようにお目にかかろうとは、思ってもいなかった。この分なら、宗盛殿にもお目にかかることができそうだ。さて、奈良を焼いたことは、故平清盛殿の命令か、それとも、状況に応じてのはからいか。どちらにしても、もってのほかの罪業だ」

 平重衡は答えました。

「まず、南都炎上のことは、平清盛が命じたことではありません。また、重衡が自分でやったことでもありません。衆徒の悪行を鎮めるため、奈良に下向したところ、不慮に伽藍を滅亡させるに至ったことは、私の力が及ばなかったところです」

「改めて言うまでもありませんが、昔、源平は左右に競い合い、朝家を守護していました。しかし、近頃、源氏の運が尽きたことは人々が皆、知る次第です」

「いっぽうで平家は、保元の乱、平治の乱からこの方、度々朝敵を平らげ、恩賞は身に余り、かたじけなくも、一天の君(安徳天皇)の外戚として太政大臣まで昇進し、一族の昇殿者は60人あまり、20年間は、官位で肩を並べる者たちはいませんでした」

「それにしても、帝王の敵を討った者は7代まで朝恩が尽きないと言われるが、それは、でたらめだった。というのも、かの平清盛殿は、君の為に命を捨てようとしたことが、度々、あった。されども、栄華は清盛殿一代で、子孫がこのようなめに遭うとは。平家の運が尽き、世が乱れ、都を出てからは、しかばねを山野にさらし、憂き名を西海の波に流そうと思っていたが、生き長らえて、捕らわれの身となり、ここまで下されようとは思ってもいなかった。前世の因縁がうらめしい」

「ただし、『史記』に、殷の湯(とう)王は、夏の桀(けつ)王によって夏台に捕らわれ、周の文王は、殷の紂(ちゅう)王のため「ゆう里」に捕らわれるとある。上古でもかくのごとしなので、末代であればいうまでもない。弓矢を取る者が敵の手に落ちて命を失うことは、まったく恥ではない。ただ、芳恩を賜り、今すぐにでも、私の首をはねてください」

 重衡は、そう申し開きをすると、あとはひと言もしゃべりませんでした。梶原景時は重衡の様子を見て、「あっぱれな大将軍だ」と涙を流し、居合わせた侍たちも皆、涙で袖を濡らしました。

 頼朝もあわれに思い、「そもそも、平家は頼朝の個人的な敵だとは思っていない。ただ、帝王の仰せが重いだけだ。しかしながら、奈良を焼いた敵なので、南都の大衆の中にも、きっと言いたいことがある者がいるだろう」と、伊豆の国の住人・狩野介・藤原宗茂に預けられました。その様子は、地獄にて、娑婆の罪人が、7日ごとに、冥界にいる十王の手のもとに、順番に預けられることに等しく思われて、あわれでした。

(2012年2月1日)


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