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(326)平重衡の街道下り

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登場人物:平重衡、土肥実平、梶原景時、侍従

 そのようにしているうちに、鎌倉の源頼朝から、平重衡を関東へ下向させるよう、しきりに催促してきましたので、それならと、鎌倉へ行かせることになりました。重衡は土肥実平の手から源義経の宿舎に移され、寿永3年(1184年)3月10日、梶原景時に守られて関東へ出発しました。西国にて死んでいた身が、生け捕りにされ、都へ送られたのですら口惜しいのに、今さらに関の東へ送られる心の内は推し量られてあわれです。

 山科の東部にある仁明天皇第四皇子人康親王旧跡である四宮河原にさしかかると、ここは昔、延喜の醍醐帝の第四皇子・蝉丸が、吹き荒れる関の嵐に心をすませ、琵琶を弾いた場所。そこに醍醐帝皇子・兵部卿克明親王の子で博雅の三位という人が、風の吹く日も吹かない日も、雨の降る夜も降らない夜も、3年間、足を運び続け、耳をすませ、とうとう、かの3曲の琵琶の秘曲(流泉・啄木・楊真操)を伝えた場所です。今昔物語に登場する蝉丸の歌『世の中はとてもかくてもすごしてむ宮もわらやもはてしなければ』が思いやられて、あわれです。

 逢坂山を越え、勢田の唐橋を馬のひずめをとどろかせて渡ると、ひばりが鳴く草津の南の野路の里や、琵琶湖に打ち寄せる志賀の浦浪も春らしく見えました。霞に曇る鏡山や、比良の高嶺を北に見て、伊吹の嶽に近づきました。人は留めるが心を留めるわけではない不破の関(近江と美濃の境)の建物の荒れている様子も、かえって風情が感じられ、鳴海の海岸では、どのように成る身だろうと袖を涙で濡らし、かの在原業平が伊勢物語で『唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思う』と詠った三河の国の八橋に来ると、伊勢物語で『そこを八橋といひけるは、水ゆく川のくもでなれば、橋を八つわたせるによりてなん八橋といひける』ことが思い出されて、風情を感じます。浜名の橋を渡れば松の梢に風がさえて、入り江に騒ぐ波の音は、そうでなくても旅はもの憂いものなのに、夕暮に心を尽くし、池田の宿(静岡県磐田郡池田村)に到着しました。

 宿の女主人・熊野(ゆや)の娘・侍従のもとに、平重衡は泊まりました。侍従は、重衡に会い、「普段なら人伝でも来るとは思われない人が、今日はこのような場所に入られて、不思議です」と、一首、歌を送りました。

  旅の空赤土(はにゅう、埴生)の小屋のいぶせさに

    故郷いかに恋しかるらむ

 重衡は返事を詠みました。

  故郷も恋しくもなし旅の空

    都も終のすみかならねば

 少しして、重衡は、梶原景時を呼び、「それにしても、ただ今の歌の主はどのような者だ。細やかな心づくしだ」と尋ねると、景時は畏まって、答えました。

「君はいまだ知らないのでしょうか。あれこそ、平宗盛殿がまだ当国・駿河の守だった時分、召しだされ、最も寵愛した女。老母をここに置いていたので、いつも、いとまを乞うておりましたが、許されず、時候は三月の初めでもあったのでしょう、

  如何にせむ都の春も惜しけれど

    馴れし吾妻の花や散るらぬ

 と、宗盛は愛しいが故郷の母に万が一のことがあったらという思いを詠った名歌を送り、いとまを与えられ、国に帰った、街道一の有名人です」

 都を出て日数がたっていましたので、三月も半ばを過ぎ、春もすでに過ぎ去ろうとしています。遠い山の桜は雪が残っているように見え、浦々、島々に霞がたちこめ、来し方や、行く末のことを思い続け、「これはどのような前世の宿業のためなのだろうか」と、ただ涙ばかりが尽きない旅。重衡に子どもがいないことを母の二位の尼殿もなげいており、北の方の大納言佐殿も悲しみ、よろずの神仏に祈りましたが、ついに子はできませんでした。重衡は、「それでよかったのだ。子どもがありでもしたら、どれほど辛かっただろう」と考え、せめてものなぐさめにしました。遠江の佐夜中山(さやのなかやま)にさしかかった時も、再びここを通って都へ帰ることができるとは思えず、あわれに思いつめて、袂を涙でひどく濡らしました。

 宇津谷峠の山道を、道も、心も細く抜け、手越(静岡市近辺)を過ぎました。はるか北に雪で白く染まった山がありました。重衡が問うと、「甲斐の白根山」といいます。重衡は落ちてくる涙を堪え、

  惜しからぬ命なれども今日までに

    つれなき甲斐の白根をも見つ

 惜しくはない命でしたが今日まで生きながらえたかいがあって白根山を見ることができたと詠み、清見が関を越え、富士山の裾野にさしかかりました。北に青山が険しくそびえ、松に吹く風が寂しい。南を振り返れば、青い海が遠くまで広々として、岸に打ち寄せる波も荒涼としています。足柄明神が3年間会わなかった妻を見て、「私を恋しがっていれば痩せているはず。太っているのは恋しがっていなかったからだ」と、「明神の歌」を詠み妻を離縁したという足柄山を越え、こゆるぎの森、鞠子川(酒匂川の古名)、小磯・大磯の浦々、八的(やつまと、辻堂海岸)、砥上が原(鵠沼付近)、御輿が崎(七里が浜)と過ぎ、急がない旅とはいいながら、旅路が進み、鎌倉へ到着しました。

(2012年2月1日)


(327)平重衡の申し開き

(328)千手の前

(329)横笛



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