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(325)法然

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登場人物:平重衡、土肥実平、源義経、後白河法皇、知時

 平重衡は、平家からの請け文の内容を聞き、「当然だろう。さぞ一門の人々は私を恨んだことだろう」と思いましたが、後の祭りでした。事実、重衡一人の命を惜しんで、さすがにわが国の至宝・三種の神器を返すとは思えないので、請け文の内容は予想できましたが、返事が来ない間は、何とはなしに心許なく思えました。

 請け文が到着し、関東へ送られることに決まってからは、都の名残も今更惜しく思われたのでしょうか、土肥実平を呼び、「出家したいと思うがどうか」と相談しました。実平は源義経に報告し、義経から後白河法皇へ伺いを立てました。後白河法皇は「頼朝に会わせてからでないと、そうもできない。今は出家させるな」とのことでした。

 そのことが重衡に伝えられると、「それなら年来、約束をしている聖に今一度対面し、後生のことを相談したいと思うがどうだろう」と告げました。土肥実平は、「聖とは誰ですか」と尋ね、重衡は「黒谷(比叡山西塔北谷の別所)の法然房(浄土宗の開祖、源空、「法然」は房号)という人です」と答えました。実平は、「それなら問題ない。さあ、どうぞ」と許しました。

 よろこんだ重衡はすぐに法然を迎え、泣く、泣く、告げました。

「この度の西国のいくさでどのようにでも成っていた身が生きながらえて捕らわれたのは、再び、上人に会う運命だったからでしょう。さしも、重衡の後生はどうすればよいのでしょう。一門が栄華を極めていた時は、出仕者に名を連ね、政務に携わり、そのうちに、傲慢な心だけが強くなり、斜陽になることなど考えもしませんでした。いわんや、世が乱れ、運が尽きて、都を出てからは、戦いにあけくれ、人を倒し、わが身が助かろうとする悪心に満ち、善心はまったく起こりませんでした」

「そして、奈良炎上のことは、王命であり、武士の務めであり、君に仕え、法に従う身として避けがたく、衆徒の悪行を鎮めるために下向して、不慮の故事で伽藍を滅亡させてしまいました。しかし、『責任は大将軍一人に帰す』といいますので、重衡一人の罪業になったのだと思います。しかしながら、今またこのように生き恥をさらしているのも、奈良を焼いた報いと思い知っています」

「今は出家して、欲望を捨て、戒律を守り、ひたすら仏道修行をしたいと思います。しかし囚われの身ではそうもできません。どのような行を修しても、罪悪の一つも免れないと思うことこそ悔しいです。自分の一生の所行というものをつらつら考えるに、罪は須弥の山よりも高く、善根の蓄えはみじんもありません。このまま空しく命が終われば、三悪道に落ち、苦しむことはまちがいありません」

「願わくは、上人、慈悲を起こし、憐れみを垂れ、このような悪人が助かる方法があれば、教えて下さい」

 そう重衡が告げると、法然はしばらく涙に伏して、言葉も発しませんでした。

 しばらくして上人が口にしました。

「まことに、せっかく人間の身に生まれながら、空しく三悪道に帰らなければならないことは、悲しんでもあまりあります。しかるに、今、浮き世を厭い、浄土を願わんと欲し、また、悪心を捨て善心を起こした以上は、過去、現在、未来に出現する三世の仏たちも、随喜していることでしょう」

「それにしても現世から出る方法はいろいろありますが、末法乱世では、称名念仏が優れた方法です。志を九品(極楽世界の9つの階級)に分かち、行を『南無阿弥陀仏』の六文字に縮め、どのように愚かな者でも唱えることができます。罪が深いからといって、遠慮することはありません。十悪五逆の罪人でも回心すれば往生を遂げることができます。功徳が少ないからといって、望みを捨てることもありません。念仏を、一返、十返と唱えれば、聖衆が来迎します」

「『専称名号至西方』といって、南無阿弥陀仏の称名をひたすら唱えれば西方に至り、『念々称名常懺悔』といって、心に常に南無阿弥陀仏を唱えれば懺悔できると教えられています。また、『利剣即是弥陀号』といって、南無阿弥陀仏を唱えれば、弥陀が剣のように煩悩を断ち魔縁を近づけません。『一声称念罪皆除』といって、一声でも念仏を唱えれば罪は皆、消えてなくなります」

「浄土宗の極意は、それぞれ簡略であり、骨子と成る簡明な考えを大切にしています。ただし、極楽に往生できるかどうかは信心の有無にかかっています。ひたすら浄土宗の教えを深く信じ、どのようなときでも、いつ、どこででも、一切の所行において、ひたすら南無阿弥陀仏の称号を唱えれば、臨終を境として、この苦界から出て、かの極楽浄土の土に往生することは、まちがいありません」

 法然が告げると、重衡はたいへんよろこび、告げました。

「願わくは、今この時に、戒律を授けていただきたいのですが、出家しない身では難しいでしょうか」

 法然は、「出家しない人に戒律を授けることも常に行っています」と告げ、重衡の額に剃刀をあて、剃る真似をして、十戒(十悪を犯さぬ戒律)を授けました。重衡は涙を流して、戒律を受けました。法然は、なにもかもがあわれに思え、かきむしる思いで、戒律を説きました。重衡は、お布施として、いつも遊びなどをしていた侍のもとに預けておいた硯(すずり)を、木工右馬允・知時に取りに行かせ、法然に献上しました。

「この硯を誰にも与えないで、常に上人の目の届く場所に置いてください。硯を見るたびに重衡からの贈り物だと思い出して、念仏を唱えて下さい。また、お暇があれば、経を一巻、お送り下さればうれしいです」

 法然はあわれさに言葉も出ず、硯を受け取り、黒衣の袖に顔を押し当てて、泣く、泣く、黒谷へ帰りました。

 くだんの硯は、重衡の父・平清盛が、宋朝の皇帝へ砂金を大量に献上したさい、答礼として与えられたものでした。返報には、『日本和田の平大相国のもとへ』(清盛は福原を開き、経島(和田)を修築した)とあったとか。硯は名を「松陰」といいました。

(2012年2月1日)


(326)平重衡の街道下り

(327)平重衡の申し開き



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