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(320)平重衡

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登場人物:平重衡、土肥実平、定長、召次花方、平重国

 寿永3年(1184年)2月14日、生け捕りにされた平重衡(しげひら)は都で大路を引き渡されました。網代車の立板に八葉の紋を描いた車で、車の前後の簾を上げ、左右の小窓も開けられました。土肥実平が黒味を帯びた赤黄色の鎧直垂姿にすね当てだけをつけて、30騎あまりを引き連れて、車の前後を囲んで守護しました。

 都中の者たちは、身分の高い者も、低い者も、口をそろえて、「なんということに。何人もいる公達の中で、重衡殿一人がこのようなことになるとは。清盛殿にも、二位の尼殿にもかわいがられ、一門の中でも重く用いられていた自慢の子で、上皇や天皇の御所でも、老いたるも、若きも、場所を開けてもてなしたということぞ。今このような目に遭っているのは、奈良を焼いた仏罰か」と言い合いました。

 平重衡は、六条を東へ河原まで渡され、それから戻り、故中御門藤中納言・藤原家成の御堂・八条掘河に入り、厳しく監視されました。

 後白河法皇の院の御所から、蔵人の左衛門権佐・定長が、院宣の使者として、八条掘河へ向かいました。赤い五位の服を着て、帯剣していました。重衡は、全体は薄い紺色で所々を濃く染めた直垂に、折烏帽子を立てていました。いつもは何とも思わなかった定長ですが、今は、冥途の罪人が閻魔庁の役人を見る心地で迎えました。

 定長からは、「屋島へ帰りたければ、一門の方々へ言い送り、三種の神器を都へ戻しなさい。その後は、屋島へ帰そう」と伝えられました。重衡は、「さすがに、わか朝の重宝・三種の神器を、重衡一人の命と換えようとは、平宗盛殿以下一門の者たちが承知するはずがない。しかしながら、何もせずに院宣を突き返すのは恐れ多いことなので、すぐに伝えるだけは伝えてみましょう」と返事をしました。

 院宣の使者は御坪(歌会の際にすずりなどを供する者)の召次花方の平重国。平宗盛、平時忠へは院宣を出し、二位殿へは文を細々と記しました。私信は許されなかったので、一門の人々へは、言葉で言伝られました。北の方の大納言典侍・藤原邦綱の娘の輔子へ、「旅の空にても、あなたは私を励まし、私はあなたに慰められたものを、引き別れてのちは、いかに悲しんでいることでしょう。契りは朽ちることはないといわれますので、来世では必ずまためぐり会いましょう」と泣く泣く言伝を口にすると、重国も哀れに覚えて、涙を抑えて、立ちあがりました。

(2012年1月29日)


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