本文へスキップ

ミニシアター通信平家物語 > (318)首渡し

(318)首渡し

参照回数:

登場人物:平維盛、平維盛の北の方、源仲綱、源範頼、源義経、後白河法皇、藤原経宗、藤原兼実、藤原実定、花山院忠親

 西国を従え、勢いを盛り返し、福原の一の谷に城郭を構えた平家ですが、源頼朝の弟、源範頼・義経の軍に、一の谷を破られます。平家は、船に逃げ延び、思い思いに落ちていきました。平家物語はいよいよ、盛者必衰の物語へと突入していきます。

 「平家物語 巻の十」は、一の谷の戦いの戦後処理の話から始まります。

首渡し

 寿永3年(1184年)2月7日に摂津の国の一の谷で討たれた平家一門の首が、12日に都へ到着しました。平家にゆかりのある人々は、今後は自分たちにどのようなこどがあり、どのような憂き目にあうのかを見たようだと、嘆きあい、悲しみました。

 中でも、大覚寺に隠れていた小松三位中将・平維盛の北の方・六代御前は胸が休まらず、今度の一の谷の戦いで多くの一門の将軍が討たれ三位中将という公卿が一人生け捕りになり都へ送られた、と聞き、維盛に違いないと悶え、逢いたいとこがれました。くわえて、ある女房が大覚寺に来て「三位中将殿とは、本三位中将・平重衡殿です」と告げると、それなら、討ち取られた首の中に維盛がいるに違いないと、なお、心休まることがありませんでした。

 翌13日、検非違使五位尉の大夫判官・源仲綱以下の検非違使たちが、六条河原で平家の首を受け取りました。

 平家一門の首について、源範頼・源義経が、東洞院の北へ運び、獄門の木にかけるべきだと、後白河法皇に奏聞しました。

 後白河法皇はいかにすべきか悩み、左大臣・藤原経宗、右大臣・藤原兼実、内大臣・藤原実定、堀河大納言・花山院忠親に意見を聞きました。皆、「昔から大臣の位に登った人の首が大路を引き回された例はありません。なかでも、平家一門は、先帝・安徳天皇の時代には、親戚の臣として、長く朝家に仕えた者。範頼、義経の申し出は、簡単に許してはなりません」と告げました。後白河法皇は、申し出を許さないことにしました。

 しかし、範頼・義経は、重ねて奏聞しました。

「保元の乱の昔を思えば、平家は、祖父・源為義のかたき、平治の乱では、父・源義朝のかたきです。このたびは、君の憤りを休め、父の恥をそそぐために、命を捨てて朝敵・平家を滅ぼしました。今度、平家の首が大路を渡されないとあらば、今後、何のために凶徒を退けるのでしょう」

 範頼・義経がしきりに奏聞するので、後白河法皇もついに折れ、平家一門の首が大路を渡されました。見物人の数は、幾千万といわれました。平家が王家に名を連ねていた昔は恐れおののいていた人たちが多かったのですが、首が大路を引き回される今となっては、哀しまない人はいません。

(2012年1月29日)


(319)平維盛

(320)平重衡

(321)土肥実平



平家物語のあらすじと登場人物




運営会社

株式会社ミニシアター通信

〒144-0035
東京都大田区南蒲田2-14-16-202
TEL.03-5710-1903
FAX.03-4496-4960
→ about us (問い合わせ) 



平家物語のあらすじと登場人物