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(312)平敦盛の最期

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登場人物:平敦盛、熊谷直実

 源義経の「鵯越(ひよどりごえ)の坂落とし」と呼ばれる奇襲攻撃で一の谷の平家は混乱に陥り、勝敗の趨勢が決しました。よき大将軍と組みたいと思っていた源氏方の熊谷直実は、船に乗って逃げるために汀へ向かう平家の公達を、細道に入って追いかけました。

 すると、生糸を縦糸にし練糸を横糸として織った鶴の模様を刺しゅうした直垂に、萌黄の鎧を着て、鍬の形の飾りをつけた甲の緒を締め、金色に仕上げた太刀を帯び、24本指した切り斑の矢をえびらに入れて背負い、縁が金色に飾られている「金覆輪」の鞍を置いた、模様が銭を連ねたようになっている「連銭葦毛」の馬に乗った1騎の武者が、沖の船を目指して馬を海に入れ、5、6段(約55から72メートル)ばかり泳ぎました。

 熊谷直実は扇を掲げて、招きました。

「あれはいかに、よき大将軍と見える。卑怯にも敵に後ろを見せるものかな。引き返せ、引き返せ」

 すると、騎馬武者は馬を返し、汀にあがろうとしました。直実は波打ち際でその武者に組み付き、どうと馬から落として、取り押さえました。首を掻こうと甲をのけると、薄化粧をし、お歯黒をした美少年でした。直実は、わが子の小次郎・直家と同じくらいの16、7歳ほどかと思いました。

「そもそも、貴殿はいかなる人なのだ。名乗らせたまえ。助けよう」

 直実がそう告げると、若武者は「まず、そういう貴殿は誰ぞ」と尋ねました。「ものの数には入りませんが、武蔵の国の住人・熊谷次郎直実」と名乗りました。若武者は「ああ、貴殿にとってはよい敵ぞ。名乗らずとも、首を取って人に問いたまえ」と告げました。

 直実は、「あっぱれな大将軍。この人一人を討ったからといって負けるいくさに勝つわけではない。また、助けたといって、勝ついくさに負けるわけではない。今朝の一の谷の戦いで、わが子の小次郎・直家が薄傷を負ったのでさえ直実は悲しく思ったものだ。もし、貴殿の父が、貴殿が討たれたと聞いたらどんなに悲しむことでしょう。お助けいたします」と告げました。

 しかし、直実が後ろを見ると、土肥実平、梶原景時らが50騎ほどで近づいています。直実は涙をはらはらと流しながら、「ああご覧なさい。いかにしてもお助けしたいと思いますが、味方の軍兵が雲霞のごとくに満ちています。もはや、お逃がしすること、かないません。あわれ同じく討たれるなら、直実が手にかけ、後生を弔い仕ります」と告げると、「ただ何様にも、早く、早く、首を取れ」と答えました。

 直実はその姿があまりにいとしく、どこに刀を立ててよいのかわからず、目もあてられず、心もくじけ、前後不覚になりました。しかし、そのまま捨て置くわけにもいかず、泣く泣く首を掻きました。直実は、「あわれ、弓矢取る身ほど口惜しいことはない。武芸の家に生まれていなければ、ただ今のようなつらい目に遭うこともないのに。無常にも討ってしまったものだ」と、袖に顔を押し当てて、さめざめと泣きました。

 直実が首を包もうと、鎧と直垂を解くと、錦の袋に入れられた笛が腰に差してありました。直実は、「なんといとしいことだ。今日の明け方、一の谷の城の中で管弦の音色が響いていたが、この人々だったのか。源氏の東国勢は何万騎もいるが、いくさの陣に笛を持参している者はあるまい。公達は、いくさの陣においてもなお、優雅を忘れないものだ」と、その笛を大将軍の見参に入れました。その笛を見た者は皆、涙を流しました。

 後に聞くと、若武者は、修理大夫・平経盛の子で、大夫・平敦盛、生年17歳とのこと。直実に出家の心が起きたのは、敦盛を討ってからといわれています。くだんの笛は、敦盛の祖父で笛が上手だった平忠盛が鳥羽院から賜ったもので、経盛がもらい受け、敦盛が笛が上手だったため与えられたものでした。「小枝(さえだ)」という笛でした。狂言綺語の理とはいいながら、ついに讃仏乗の因となったことこそ、あわれです。

(2012年1月25日)


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