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(311)平重衡の生け捕り

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登場人物:平重衡、後藤盛長、庄高家、梶原景季、尾中法橋

 三位中将・平重衡(しげひら)は一の谷の生田の森の副将軍でした。その日の装束は、濃い紺地に白と黄色の糸で岩に郡千鳥を刺しゅうした直垂、紫据濃の鎧を着て、鍬の形の飾りのついた甲をかぶり、金色につくった太刀を帯び、24本指した切り斑の矢を背負い、滋藤の弓を持ち、童子鹿毛といううわさに聞こえた名馬に金覆輪の鞍を置いて乗っていました。

 乳母子の兵衛・後藤盛長は、滋目結いの直垂、緋縅の鎧で、重衡秘蔵の馬「夜目無月毛」に乗っていました。

 主従2騎は味方の船に乗ろうと汀の方へ落ちていました。

 そこに、四郎・庄高家、梶原景季が、よき敵と目をかけ、馬を駆って追いかけてきました。

 汀には平家の船が多くありましたが、敵がうしろから追いかけてきました。乗るひまもなく、湊河、刈藻河を渡り、蓮池を右手に見て、駒の林を左手に見て、板宿、須磨をも過ぎて、西を指して落ちていました。

 重衡は「童子鹿毛」という名馬に乗っていました。もみにもんで乗り疲れさせた馬では追いつけないと見えましたが、梶原景季がもしやと思い放った遠矢が、童子鹿毛の尻の付け根に当たりました。

 乳母子の後藤盛長は、自分の馬に乗り換えられると思ったのでしょうか、鞭を打って逃げました。重衡は「どうした盛長、われを捨ててどこへ行くぞ。日頃、そんな契りを結んだ覚えはないぞ」と言いましたが、盛長は聞こえないふりをして、鎧に付けた平家の赤しるしをかなぐり捨てて、逃げに逃げました。

 重衡は馬が弱り、海に馬を入れました。身を投げようとしましたが、どこも遠浅で沈むべきところがありません。なので、腹を切ろうとしました。しかし、庄高家が馬を駆けさせてきて、急ぎ馬から飛び降り、「待って下さい。どこまでもお供しますから」と、自分の馬に重衡を乗せ、鞍の前輪に重衡を縛り付け、自分は替え馬に乗って、味方の陣へ重衡を連れて行きました。

 乳母子の盛長は、そこを逃れ、その後は、熊野法師の尾中法橋を頼って暮らしていました。その法橋の死後、法橋夫人である尼公が訴訟のために都へ上る際、同伴しました。盛長は重衡の乳母子だったため身分を問わず多くの人に顔を知られていました。都では、「ああ、憎たらしい。三位中将・平重衡殿がさしも不便にしているというのに、後藤兵衛盛長は同じ場所で死なずに、思いも寄らずに夫人の尼公の供をして都へ来たものだ」と、皆からつまはじきにされました。盛長もさすがに恥ずかしく思ったのでしょう、扇で顔を隠したといいます。

(2012年1月24日)

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