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(309)越中盛俊の最期

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登場人物:平知盛、越中盛俊、猪俣則綱(のりつな)、人見四郎

 平家方の生田の森の大将軍は、平知盛でした。東の正面から攻めてくる源氏と戦っていたところ、険しい山の側面から攻めてきた源氏の児玉党が知盛に使者を立てて、「君はかつて武蔵の国の国司でした。そのよしみをもって、児玉党が申し上げます。未だ、うしろをご覧になっていないのですか」と告げてきました。知盛以下が顧みると、黒煙が回っていました。皆、「ああ、西の手が破れたのか」といううちに、取る物も取らず、われ先に逃げていきました。

 前司・越中盛俊は、鵯越(ひよどりごえ)がある一の谷の背後を守る勢の侍大将でした。今はもう逃げられないと思ったのでしょうか、留まって敵を待っていました。そこに、小平六・猪俣則綱がよき敵と目を掛け、鞭を打ちあぶみをけって馬を並べ、むずと組んで馬から落としました。

 猪俣則綱は坂東八か国に知られた強者。鹿の角の根元から数えて1つ目、2つ目の枝をもたやすく折ることができるといわれています。越中盛俊も、人からは2、30人力と言われていましたが、その実、6、70人で上げおろす船を一人で推し出し、引き上げる怪力でした。なので、盛俊は猪俣を取り押さえて放さず、下になった猪俣は刀を抜こうとしますが、指の股が広がって刀の柄を掴めず、声を出そうとしても、あまりに強く押し付けられて声を出せません。

 しかし、猪俣も怪力の持ち主。しばし息を休め、「敵の首を取るというなら、われも名乗り、敵にも名乗らせて、そのうえで首を取れば大功。名も知らぬ首を取って、どうしようと言うのだ」と告げました。

 盛俊は、確かにそうだ、と思ったのでしょうか、「もとは平家の一門だったが、身が不肖なるゆえ今は侍となされた越中前司盛俊という者だ。貴様は何者だ。名乗れ、聞こう」と言いました。猪俣則綱は「武蔵の国の住人、猪俣小平六則綱という者なり。今、わが命を助けよ。そうすれば、貴殿の一門が何十人もいると思うが、今回の恩賞に替えて、命だけは助ける」と頼みました。

 すると、越中盛俊は大いに怒りました。「盛俊は不肖なれど、平家の一門なり。盛俊は源氏を頼みとする気はない。源氏もまた、盛俊に頼まれようとは、まさか思うまい。君の悪しき申し出かな」と、すでに猪俣則綱の首をかこうとしましたが、「それはまずい。降人の首をかくことがあるか」というと、「さらば助けよう」と許しました。

 盛俊と則綱がいる場所は、前は乾いた田で、後ろは水田の泥の深み。そこに2人で腰かけて、息をついていました。しばらくして、緋縅の鎧を着て、金覆輪の鞍を置いた月毛の馬に乗っている武者が1騎、むちを打って走らせてきました。盛俊が怪しむと、則綱が「あれは猪俣が親しくしている人見四郎だ。則綱がいるのを見て声を掛けに来たようだ。安心なされ」と教えました。しかし、則綱は、心中では、「人見が来たら盛俊に組み付いてやろう、まさか加勢しないことはあるまい」と思っていました。

 人見が近づいてきました。盛俊ははじめのうちこそ2人の敵へ交互に注意を向けていましたが、次第に近づいて来る人見ばかりを見るようになりました。盛俊が則綱から目をはなしたすきに、則綱は足を踏みしめて立ち上がり、拳を強く握り、盛俊の鎧の胸板をばくと突いて、仰向けに倒しました。盛俊が起き上がろうとするところ、則綱が乗りかかり、盛俊の腰の刀を抜き、鎧の草摺りを引き上げて、柄まで貫通せよとばかりに、3刀指して首を取りました。

 そのようにしているうちに人見四郎が来ました。このような時は功名争いも起きるので、則綱はすぐに盛俊の首を太刀で貫いて、高く掲げ、大声で、「このごろ、平家の方に鬼神ありときこえた越中前司盛俊を、武蔵国の住人・猪俣小平六則綱が討ったぞ」と叫びました。則綱はその日の高名の一番に名前を記されました。

(2012年1月24日)


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