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(304)平山季重

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登場人物:熊谷直実、熊谷直家、平山季重、成田五郎、越中盛嗣、上総忠光、景清、後藤内定経

 熊谷直実と直家親子が城郭に寄せて名乗りをあげましたが、城内からは相手にされませんでした。しばらくして、直実の後ろから2騎が近寄ってきました。直実が「誰だ」と問うと、「季重」という答え。逆に、「そう問うのは誰だ」と言うと、「直実だ」。「いかに熊谷殿はいつからいたのだ」「宵から」。

 平山季重は、遅参した理由を口にしました。

「季重もすぐに熊谷殿に続いて寄せるところだったが、成田五郎にはばかられ、今まで遅参した。成田五郎とは死ぬ時は同じ場所でと契り合った仲。その成田と連れ立ってきたら、成田が『平山殿、あまりに先陣をあせりなさるな。いくさの先陣とは、後に続く味方の軍勢があってのこと。高名不覚もそれで伝えられる。あの大勢の中へただ一騎、駆け入り、討たれたら、なんの報いもない』というので、確かにそうだと思い、小坂に登り、眼下に味方の軍勢が来るのを待っていた」

「成田も続いてやってきて、馬を並べていくさの様子でも語らうのかと思っていたところ、そうではなく、季重の方には知らん顔をして、そばをすばやく抜けてしまった。それでなんと、この者、季重をだまして先を行ったと思い、5、6段(約11メートル)ほど進み、やつの馬はわが馬よりも弱いと見て、一ムチ打って追いつき、『いかに成田殿、季重ほどの者をたばかるとは、いさぎよくないぞ』と言い捨て、馬を駆けさせてきた。成田は未だはるか後方で、季重の後ろ姿も見ていないだろう」

 そのようにしているうちに、空がようやく明けてきました。熊谷直実、平山季重らは、かれこれ5騎で控えていました。熊谷直実は既に名乗っていましたが、平山季重の前で再び名乗ろうと思ったのでしょうか、おし並べられた盾の側まで寄り、馬の上であぶみにふんばり、立ち上がり、大音声をあげました。

「そもそも以前、名乗った武蔵の国の住人、熊谷次郎直実、子息小次郎直家、一の谷の先陣ぞや」

 すると、平家物語の侍、次郎兵衛・越中盛嗣、五郎兵衛・上総忠光、悪七兵衛景清、後藤内定経を先頭に、20騎あまりが、木戸を開いて出てきました。

 平山季重は、鹿の子絞りをしげくして染めた直垂、緋縅の鎧、二筋の線を横に染めた矢除けの母衣、糟毛で目の周りがまだらの目糟毛といううわさに聞こえる名馬に乗っていました。平山の旗指しは、黒革縅の鎧に、甲を首にさげ、月毛のやや赤褐色の濃い馬に乗っていました。

 季重は、「保元の乱、平治の乱の2度のいくさに先駆けて高名を残している武蔵国の住人、平山武者所季重」と名乗って、雄叫びを上げました。

 熊谷直実を追い越せば平山季重が名乗り、平山季重を追い越せば熊谷直実が名乗り、お互いにわれ劣らずとばかりに、入れ替わり、立ち替わり、火が出るほどに攻めました。平家の侍たちは、あまりに激しく攻められ、敵わないと思ったのでしょうか、城内へ引いて、敵を城外において防ぎました。

 熊谷直実は馬の太股を射られ、馬が跳ね上がりましたので、弓を杖にして、馬から降り立ちました。直家も、「生年16歳」と名乗って突進しましたが、左の肘を射られ、馬から降り、直実と並んで立ちました。直実は「いかに小次郎、手負うたか」「はい」「鎧をすき間のないようにずり上げろ。甲を深くかぶれ。甲の内側を射さすな」と教えました。

(2012年1月22日)


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