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(294)樋口兼光

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登場人物:樋口兼光、源範頼、源義経、後白河法皇、児玉党、藤原師家、藤原基通

 樋口兼光は武蔵七党のひとつ児玉党と、よしみがありました。そこで児玉党が寄り集まって、「そもそも、弓矢取る者が、広く世の中に出て交わるのは、万一の時に、急場をしのぎ、しばしの命を生かそうと思うがためだ。なので、樋口が我らと懇意にしたのも、そのためだろう。命だけは助けよう」と言い合い、樋口兼光に使者を立て、言い送りました。

「義仲殿の身内に、今井、樋口、楯、根井ありと聞こえているが、すでに義仲殿は討たれた。今井殿が御自害しているので、何もはばかることはない。われらが中に降人となり給え。今度のいくさの恩賞を返上する代わりに、命だけは助けよう」

 樋口兼光は、名高い剛勇の武士でしたが、雲も尽きたのでしょう、児玉党に降人となってしまいました。

 児玉党は、大将軍の範頼・義経に伝え、範頼・義経が後白河法皇へ伺いを立てました。しかし、院の公卿、殿上人、局の女房、女童に至るまで、「木曽は法住寺殿へ攻め寄せてきて、御所に火をかけ焼き払い、多くの高僧・貴僧を亡き者にした。いつでも、今井、樋口と言う声だけが聞こえていた。これらを助けたら、ただ口惜しいだけだ」と口を揃えて言い、結局、死罪と定められました。

 寿永3年(1184年)正月22日、新摂政・藤原師家が官職を停止され、もとの藤原基通が摂政に復帰しました。わずか60日のうちに替えられたので、未だ見果てぬ夢のよう。昔、粟田の関白・藤原道兼は任官叙位の御礼を述べる「慶申(よろこびもうし)」の後、7日間だけの関白で職を停止されたといいます。今回は60日とはいえ、その間に、元日の宴会「節会」や、除目が行われたので、思い出がないわけではありません。

 24日、源義仲と、今井兼平や根井ら5人の郎党の首が都へ運ばれ、大路を引き回されました。樋口兼光は降人でしたが、しきりに首のお供をしたいと言うので、それならばと、藍の葉で摺り模様をした直垂と、立烏帽子姿で、首といっしょに大路を渡されました。

 明け25日、樋口兼光は斬られました。範頼・義経がさんざんに懇願しましたが、今井・樋口・楯・根井という義仲の四天王の一人なので、樋口を助けたら、虎を養うことになると、後白河法皇から特別の沙汰があって斬られたといいます。

 故事によると、虎狼の国・秦が衰え、諸侯が蜂のごとくに割拠した時、沛国王の劉邦は先に秦の王城・咸陽宮に入りました。しかし、後に楚王・項羽が来ることを恐れ、美女を奪って妻にすることもなく、略奪をせず、ひたすら函谷関の守りを固め、じわりじわりと敵を滅ぼしていき、ついに天下を治めたといいます。なので、源義仲も、最初に都に入ったのち、頼朝の命令に従っていれば、かの沛公・劉邦の戦略にも劣らなかったでしょう。

(2012年1月15日)


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