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(282)寿永3年(1184年)の正月

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登場人物:後白河法皇、源義仲、源範頼、源義経

 平家物語「巻の八」で、平家が落ちた京に、後白河法皇と源義仲が入りました。しかし、義仲の横暴が始まり、後白河法皇が義仲追討の兵をあげ、御所法住寺にたてこもりました。関東では源頼朝が基盤を固めて絶大な勢力を作り上げています。平家は九州・大宰府にいったん落ち着くも、九州の武士から追い出され、四国の屋島に拠点を構えます。平家は、四国・山陰・山陽の国々を従え勢力を盛り返します。義仲は法住寺合戦で後白河法皇の身柄を確保し、都で、独裁政権を築きます。しかし、都の四方の関所は封鎖されており、東国は源氏が、西国は平家が支配し、九州・東北はそれぞれ独立国のような感じになっています。

 平家物語「巻の九」は、都と屋島の平家の様子と、いよいよ都へ向けて出発した源頼朝の軍隊の様子が語られることで、始まります。

寿永3年(1184年)の正月

小朝拝


 寿永3年(1184年)元日、院の御所となっていた大膳大夫・平業忠の邸「六条西洞院」は御所の体裁をなしていませんでしたので、後白河法皇への参賀の拝礼も行われませんでした。そのため、天子(後鳥羽天皇)に拝賀する「小朝拝」の儀式も行われませんでした。

屋島の平家


 平家は讃岐の国(香川県)の屋島の浜で年明けを迎えました。正月ですが、元日、三か日の儀式もままならず、天子(安徳天皇)はいますが、節会(元日の宴会)も行われず、四方拝もありません。吉例のマスの献上もなく、吉野の山奥から国栖(くず)の人々が笛歌を奏するために来ることもありません。一門の人々は、「世が乱れているとはいえ、都ではさすがにここまでひどいことはなかった」と声を揃えました。年が明けて春となり、陽気はすがすがしく、磯風もやわらかくなり、日影ものどかになりました。しかし、平家の人々はいつも氷に閉じ込められてでもいるかのような心地がし、インドの大雪山に住むという寒苦鳥と同じでした。栄華の日々が思いだされ、花の朝、月夜、詩歌、管弦、蹴鞠、小弓、扇合わせ、絵合わせ、草づくし、虫づくしなどの思い出を終日語らう姿は、哀れです。宇治川

都の源義仲


 寿永3年(1184年)1月11日、源義仲が参院し、後白河法皇に、平家追討のために西国へ出発すべき旨を奏聞しました。

 13日、平家追討軍を出発させるための後白河法皇からの承認などの準備を終えた折、鎌倉の源頼朝が義仲の狼藉を鎮めるために送った数万騎が、頼朝の弟・源範頼と源義経に率いられ都へ向かっていますが、すでに、美濃の国、伊勢の国に到着したという報告が入り、義仲は大いに驚きました。義仲は、宇治、勢多の橋板を外し、手元に大軍はなく、以下の軍兵をそれぞれ配置しました。

勢多橋:今井兼平、800騎
宇治橋:仁科、高梨、山田次郎、500騎
一口(いもあらい):伯父で源為義の子・信太三郎先生の義教、300騎

(2012年1月11日)

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