参照回数:
登場人物:源頼朝、中原泰定
翌日、泰定は頼朝の館へ向かいました。館の内外に侍たちが控えています。柱と柱の間の場所は16ありました。外には一族や郎党が肩を並べ、膝を組んで並んでいました。内には、上座に一門がおり、末座には関東8か国の大名小名が列座。泰定には、源氏の上座が用意されていました。
しばらくして、泰定は正殿に向かいました。
正殿では、高麗縁(へり)の畳が敷かれていて、広間には紫縁の畳が敷かれ、泰定はそこに座りました。御簾が高く巻き上げられ、源頼朝が出てきました。その日は、布の衣に立烏帽子。顔が大きく、背は低く、容貌は優雅で、言葉は鮮明でした。
頼朝は、まず要件をひと言、告げました。
「そもそも平家は頼朝の威勢を恐れて、都を落ちた。その後に、木曽義仲、十郎蔵人行家が都に押し入り、まるで自分の手柄のような顔をして、官位の任命や、領地の贈答を思うままにしている。あまつさえ、与えられた国を嫌って別の国を所望するなど奇怪なり。
また、奥州の藤原秀衡が陸奥の守になり、冠者・佐竹隆義が常陸の守となり、頼朝に従わない。源義仲、源行家、藤原秀衡、佐竹隆義を追討せよという院宣を賜りたい」
泰定は答えました。
「すぐにこの場で書状を渡したいところですが、今は使者の身なので、都へ帰り上り、すぐにしたためてから参ります。弟の史大夫・重能も、そのことを申していました」
頼朝は笑って告げました。
「今、頼朝の身で、あなた方の書状をいただけるとは思いもよりませんでした。しかしながら、そういうなら、いただきたく存ずる」
泰定はすぐに都へ向かうと言いましたが、今日ばかりは泊まって行ってくださいと引き留められました。
泰定は翌日、再び、頼朝の館へ行きました。そこで、萌黄糸縅の腹巻1領、銀づくりの太刀1振、滋藤の弓に狩りに用いる矢を添えられたものを贈られました。馬は13匹。うち3匹に鞍が置かれていました。12人の一族・郎党にも、直垂、小袖、大口、馬、物の具が与えられました。それらだけでも、荷運びに300匹の馬を必要としました。鎌倉を出てからの宿でも、近江の鏡の宿に至るまで、宿ごとに10石ずつの米が置かれていて、多すぎるので、貧しい人らに配りながら帰ってきたといいます。
(2012年1月9日)
〒144-0035
東京都大田区南蒲田2-14-16-202
TEL.03-5710-1903
FAX.03-4496-4960
→ about us (問い合わせ)