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ミニシアター通信平家物語 > (257)那都羅と善雄の相撲

(257)那都羅と善雄の相撲

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登場人物:惟たか親王、惟仁親王、真済僧正、恵亮和尚、那都羅(なとら)、善雄

 天安2年9月2日、文徳天皇の皇位を継ぐ者を決めるため、2人の皇子は、右近の馬場に行啓しました。公卿や大臣が皆、馬のくつわを並べ、花のたもとを装い、雲のごとくに重なり、星のように連なって集まりました。日頃から関心を持っていた公卿・殿上人らも、双方に別れ、稀代の勝負・天下の大見物と、手を握り、心をくだいてかたずを飲んで行方を見守りました。また、祈祷の高僧たちにも怠りがあるはずがなく、真済僧正は東寺に壇を建て、恵亮和尚は大内裏の中にある真言院に壇を建てて祈りました。恵亮和尚は、「恵亮が死んだ」といううわさを流せば少しは真済が油断すると思い、「恵亮が死んだ」とうさわを流しました。その実は、肝胆を砕いて祈り続けていました。

 10番の競馬が始まりました。最初の4番は一の宮・惟たか親王家が勝ちました。後の6番は二の宮・惟仁親王家が勝ちました。

 すぐに相撲の節が始まるというので、惟たか親王家から、那都羅(なとら)の右兵衛督という60人力の優雅な者が選出されました。惟仁親王家からは、善雄の少将という、背が低くて、那都羅(なとら)が片手でつかみ合えるくらいの者が、夢で御告げがあったといい、名乗り出ました。

 那都羅と善雄は、つかみ合い、寄せ合い、互いの感触を確かめてから、いったん、退きました。しばらくして、那都羅が、つと寄り、善雄を捕まえて、2丈(約6メートル)ばかり投げ上げました。しかし、善雄は直って倒れませんでした。善雄はまた、つと寄り、那都羅を取って伏せようとしました。しかし那都羅は大男でしたので、かさに掛かってきます。

 善雄がまた危うく見えましたので、二の宮・惟仁親王の母親「染殿」の方は、使者を櫛の歯のように出して、「味方はすでに負け色に見えます。どうしよう」と問いました。恵亮和尚は、大威徳の法を行うと「これは心憂き事なり」と、独鈷(どっこ)で頭を突き破り、脳を砕き、護摩木に交ぜ、護摩をたき、黒い煙を立て、ひと揉み揉むと、善雄が相撲に勝ち、皇位に就きました。これが清和天皇で、御陵が嵯峨水尾にあるので後には水尾天皇とも呼ばれました。

 そのことがあってから、比叡山延暦寺では、ささいなことがあっても、「恵亮が脳を砕いたので、二の宮が皇位につき、尊意が智剣を振るって、菅原道真公の怨霊の雷が収まった」と言いました。

 皇位継承は、この清和天皇の場合だけは法力によるかもしれませんが、そのほかは皆、天照大神の御計らいといわれています。

(2012年1月5日)


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