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登場人物:後白河法皇、資賢、資時、橘内左衛門尉季康、平宗盛
平家がそのように混乱している中で、平家が後白河法皇を連れて西国へ落ちようとしていると内々に告げていた者があったからでしょうか、後白河法皇は、寿永2年(1183年)7月24日の夜半、按察使大納言・資賢の子の右馬頭・資時だけを連れて、密かに院の御所・法住寺殿を出て、行方をくらませていました。誰にも気づかれない雲隠れでした。
平家の侍に、橘内左衛門尉季康という者がいました。利口な男で、後白河法皇にも召し使われていましたが、その夜ちょうど宿直で法住寺殿に向かっていました。はるか遠くからも、法住寺殿の方が騒がしく、女房たちの忍び泣きが聞こえました。
季康が「何事だ」と聞けば、「突然、後白河法皇がいなくなってしまいました。どちらへ行ったのでしょう」との返事。それを聞き終わるか、終わらないかのうちに、「すわ、一大事」とばかりに急ぎ六波羅へ馳せ参じ、報告しました。
平宗盛は、「そんなことがあるわけがない」とは言いながら、急ぎ自分で法住寺殿へ見に行くと、後白河法皇の姿はありません。御前にいた、二位殿、丹後殿という女房をはじめ皆、身動きひとつしません。宗盛は「どこへいった」と聞きますが、後白河法皇の行き先を知っている女房はいません。宗盛はやむなく、泣く泣く六波羅へ戻りました。
そのうちに、後白河法皇が都を脱出したといううさわが流れ、京中が大騒ぎになりました。なかでも、平家の人々の騒ぎようは、それぞれの家に敵が乱入してきたとしてもこれほどまでではないという有り様。平家は、日ごろから、もしもの時は、「後白河法皇/安徳天皇」を連れて西国へ「御幸/行幸」しようと準備していたのですが、こうもあっさりと後白河法皇から捨てられたので、「頼む木の下に雨のたまらぬ」と詠われたように、頼みにしていた木陰で雨漏りが始まったような心地でした。
(2011年12月30日)
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