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(220)平宗盛の昇進と、平家の落日

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登場人物:平宗盛、花山院兼雅、安徳天皇

 横田河原の戦いで城長茂が木曽の源義仲に惨敗したのち、寿永元年(1182年)9月16日、前右大臣大将の平宗盛が大納言に還着し、10月3日には、内大臣になりました。

 寿永元年(1182年)10月7日、祝辞を述べる会があり、公卿で中納言の花山院兼雅はじめ、中納言4人、三位の中将も3人、参上しました。東国・北国の源氏が蜂のごとく旗をあげ、今にも都へなだれ込むとうわさされましたが、このように華やかな行事により平家の人々が、どこに風が吹き、どこに波が立った、と気にしなかったことは、どうにも言いようがないように見えました。

 そのようにして、寿永元年(1182年)も暮れて、寿永2年になりました。節会以下は通常どおり行われました。正月5日、安徳天皇の、天皇が上皇または皇太后の宮に御幸する「朝勤」がありました。これは鳥羽院が6歳の時に朝勤した例に習ったとうわさされました。

 寿永2年(1183年)2月21日、平宗盛は、従一位に昇進しました。すぐその日に、内大臣を辞任しました。これは兵乱を鎮めていないためといいます。南都北嶺(奈良興福寺と比叡山延暦寺)の僧徒から、伊勢神宮の祭主・神官に至るまで、こぞって平家に背き、源氏に心を通わせていました。平家は、全国に宣旨を下し、諸国へ院宣を遣わしましたが、宣旨・院宣も皆平家の下知と見なされ、誰も従いませんでした。

(2011年12月23日)


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