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(186)都還り

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登場人物:平清盛、平知盛、平忠度、後白河法皇、高倉上皇、安徳天皇

 今回の都遷りは、君も臣もひとかたならず嘆きました。比叡山延暦寺、奈良興福寺をはじめ、諸寺・諸社にいたるまで、よろしからぬ旨を訴え出たので、さすがの横紙破りで人のいう事を聞かずに我を通す平清盛も「ならば都還りをする」と言いました。治承4年(1180年)12月2日、急に都還りをすることになりました。

 新都福原は、北では山々がそびえて高く、南では海が近くて低地になっていました。波の音が常にやかましく、潮風が激しいところでした。新院・高倉上皇はいつも悩まされていたので、急ぎ福原を出ました。

 中宮、法皇、上皇も御幸しました。摂政殿・藤原基経をはじめ、太政大臣以下の公卿・殿上人たちは、われ先にと供奉しました。

 平家では、平清盛以下一門の人々が皆、京へ帰りました。

 このような心憂い福原に誰が片時も残るでしょうか。人々は先を競って京へ戻りました。去る6月から、京の家屋を少し壊して、福原には形ばかりの家を建てていましたが、今また物狂わしい急な遷都がありましたので、何の迷いもなく、福原の家をうち捨てて、京へ帰りました。

 後白河法皇、高倉上皇の両院は、六波羅の池殿へ御幸しました。安徳天皇は五条内裏に入ったといわれました。供奉する公卿・殿上人らの宿はないので、それぞれ、八幡、賀茂、嵯峨、太秦(うずまさ)、西山、東山のほとりに行き、あるいは御堂の回廊、社の宝殿などに身を寄せました。

 そもそも今回の福原遷都の本意はどこにあるのかというと、京は比叡山延暦寺にも、奈良興福寺にも近く、ささいなことでも、やれ日吉の神輿だ、春日の神輿だと言って騒ぎ立てました。福原は山を隔てていて、道のりも遠いので、延暦寺や興福寺の強訴も容易ではないだろうと、平清盛がはからったことだといわれました。

 治承4年(1180年)12月23日、近江源氏が背いて攻め寄せてきたとして、大将軍に左兵衛監・平知盛と、薩摩の守・平忠度がなり、3万騎で近江へ向かいました。山本、柏木、錦織などという根無し草の源氏どもを攻め落とし、近江から美濃・尾張へ越えていきました。

(2011年12月15日)


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