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登場人物:文覚、源頼朝、近藤国高
その後、文覚についての手配を命じられた伊豆の国の住人・近藤四郎国高のはからいで、文覚は、奈古屋の奥に住みました。そこは、兵衛佐・源頼朝がいる蛭が島にほど近い場所でした。文覚は、常に頼朝を訪問し、物語などを聞かせたといいます。
ある時、そんな文覚が、頼朝に、「平家の小松大臣の平重盛こそは、剛の心を持ち、施策にも優れていた。しかし、平家も運命の末だろうか、去年の8月に死去された。今、源平の中に、あなたほど天下の将軍の相を持った方はいない。早々に謀反を起こし、日本国を従えたまえ」と告げました。
頼朝は、「思いもよらないこと。私は、故・池禅尼に助けられ、その恩に報いるため毎日法華経一部を転読している。そのほかにやるべきことはない」と答えました。
文覚は、続けて言いました。
「『天が与えるものを取らないのは、かえって咎(とが)を受ける。時が来ていのに行わないのは、かえって、そのわざわいを受ける』と故事にあります。このように言えばあなたの心が動くだろうと思って言っているのではありません。その儀ではない。まず、あなたのために、私の志が深いことを見てください」
そう言うと、文覚は、懐から白い布に包んだドクロを一つ取り出しました。頼朝が「それはなんだ」と問うと、文覚は答えました。
「これこそ、あなたの父、故・左馬頭・源義朝殿のこうべよ。平治の乱ののち、獄舎の門前でこけの下に埋もれ、弔う人もなかった。文覚は存ずる旨があり、獄守に頼んでもらいうけ、首からさげ、山々、寺々で修行し、この20年余りの間、弔ってきた。今では定めて、年来の思いも浮かばれていよう。なので、文覚は、義朝殿にとっては、奉公の者なのです」
頼朝は、文覚の言葉を真に受けたわけではありませんが、父のドクロと聞くと、懐かしさに、まず涙を流しました。
少しして、頼朝は、涙を抑えて、「そもそも、頼朝は、勅命による勘当を赦されなければ、謀反を起こせない」と告げました。
文覚は、「それはたやすいこと。すぐに、都へ上り、奏上して赦してもらってきましょう」と答えました。
頼朝は、そんな文覚をあざ笑いました。「自分も勅勘の身でありながら、人の勅勘を申し受けようとする御坊の様子こそ、信頼が置けない」
文覚がひどく怒りました。
「わが身の咎を赦してもらおうというのならば、僻事(ひがごと)だ。あたなが言うように、私が言ってるのは僻事ではない。今から福原の新都へ上るに、3日はかからない。院宣をもらうのに、一日の逗留もいらない。都合7日、8日はかからない」
そう口にし、立腹して出ていきました。
(2011年12月11日)
(179)後白河法皇の平家追討の院宣
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