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(166)源頼朝の挙兵、石橋山の戦い

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登場人物:大庭景親、和泉兼隆、北条時政、土肥実平、土屋宗遠、岡崎義実、畠山重忠、三浦義明、三浦義澄、和田義盛、畠山重能、小山田有重、宇都宮朝綱、平清盛、池禅尼

 平清盛や源雅頼の青侍が見た夢などが話題となっていた治承4年(1180年)9月2日、相模の国の住人の三郎・大庭景親が、福原へ、早馬で以下のように伝えてきました。

「去る8月17日、伊豆の国の流人・源頼朝が、舅の四郎・北条時政と結託して、伊豆の国の目代の判官・和泉兼隆の屋牧が館を夜討ちして、和泉兼隆を討ち取りました。その後、次郎・土肥実平、弥三郎・土屋宗遠、四郎・岡崎義実をはじめとして300騎あまりが、石橋山に立てこもりました。

 平家方では、景親が平家に味方するもの1000騎あまりを引き連れて、石橋山に押し寄せ、さんざんに攻め立てました。頼朝勢は、わずか7、8騎まで打ちのめされ、大わらわになって戦い、土肥の杉山に逃げ籠もりました。

 次郎・畠山重忠500騎が平家方につきました。三浦介(すけ)三浦義明の子・三浦義澄が、和田義盛ら300騎あまりで源氏方につきました。畠山と三浦は、由比か浜(神奈川県鎌倉市)、小坪(神奈川県逗子市)の浜で戦いました。畠山軍は戦いに敗れて、武蔵国に退却しました。

 その後、畠山は、一族の太郎・河越重頼、三郎・稲毛重成、小山田有重の一族、太郎・江戸重長、三郎・葛西清重、武蔵7党の横山、猪俣、野与、村山、西、児玉、丹治の7族の兵をことごとく動員して、都合2000騎で、三浦一族の衣笠城(神奈川県横須賀市)に押し寄せて、一昼夜攻め続け、三浦義明を討ち取りました。義明の子は皆、久里浜(横須賀市)から船に乗って、安房上総へ渡ったと報告されています」

 平家の人々は、遷都のことには、もはや飽きてしまっていました。若い公卿や殿上人たちは、「ああ、はやく、何かことが起こってくれないか。われ先に討ち手に向かうものを」などと思慮のないことを言いました。

 荘園の雑事を司る「荘司」の畠山重能、重能の弟で別当・小山田有重、左衛門・宇都宮朝綱の3人は、皇居守護のため地方から3年交替で都に上がる「大番役」だったので在京していました。

 畠山が「頼朝に親しくしていた北条はわからないが、他の連中は、よもや朝敵となった頼朝の味方をすることはあるまい。すぐに、詳細を確認したほうがよい」と言うと、「そうだ」と言う人もおり、いっぽうでは、「いやいや、ただ今にも大事に及ぶかもしれないぞ」とささやく人もいたといいます。

 平清盛は、ひとかたならず怒り、言いました。

「そもそも頼朝は、去る平治元年(1159年)12月、父の義朝が起こした謀反の罪でそのとき処刑されるべきだったものを、故・池禅尼(忠盛の後妻、清盛の継母)がいたく嘆くので、流罪に減刑されたのだ。それなのに、その恩を忘れ、平家に向かって弓を引き、矢を放ってきたというのか。それならば、神明も、三宝も、どうして許しておくものか。今、頼朝には天罰が下るぞ」

(2011年12月5日)


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