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ミニシアター通信平家物語 > (157)神武天皇の東征、神功皇后の外征、応神天皇の誕生と都遷り

(157)神武天皇の東征、神功皇后の外征、応神天皇の誕生と都遷り

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 都遷りは、平清盛の福原遷都が初めてではありません。神武天皇は、天照大神から数えて地神5代にあたる帝王で、ヒコナギサタケウガヤフキアハセズノミコトの第4皇子。神武天皇の母は玉依姫(たまよりひめ)で、海神の娘です。

 神武天皇は、神の7代と地神の5代の合計12代の跡をうけた人代百王の帝祖。辛酉(かのとり)の年、日向の国・宮崎郡にて、皇位を継ぎ、59年目の己未(つちのひつじ)の年の10月に東征し、豊葦原中津国に留まり、その地を、大和の国と名づけました。

 神武天皇は、畝傍の山を点検し、帝都を建て、橿原(かしはら)の地の草木を伐りはらって、宮を作りました。これを、橿原宮と名づけました。それから、代々の帝王が都を他国、他所へ遷すことは30回を超え、40回に及びました。

 神武天皇から景行天皇までの12代は、大和の国の郡に都を建てて、都を他国へ遷すことはありませんでした。しかるに、成務天皇元年(景行天皇58年の誤りか)に、近江の国・志賀郡に都が遷りました。

 仲哀天皇2年には長門の国に遷って、豊浦郡に都を建てました。そこ(実は筑紫の行宮)で天皇が死んだので、后の神功皇后が天皇の位につき、女帝として、鬼界が島、朝鮮王朝の高麗、内外モンゴル・中国東北省から朝鮮北部に及んだ国「契丹(けいたん)」までを征服しました。

 異国での戦を終えて神功皇后が帰朝する際、筑前の国・三笠郡にて皇子が生まれました。すぐに、その場所を産宮と名づけました。それが、八幡です。皇子は、位についてからは、応神天皇になりました。その後、神功皇后は、大和の国に遷り、磐余椎桜宮(いわれわかざくらのみや)に住みました。応神天皇は、同じく大和の国の国軽島明宮(くにかるしまあかりのみや)に住みました。

 仁徳天皇元年には、都は、摂津の国・難波に遷りました。仁徳天皇は高津宮に住みました。

 履中天皇2年に、再び都が大和の国に遷り、十市郡(とおちのこおり)に都が建ちました。

 反正天皇元年に、河内の国に遷り、天皇は、柴離宮(しばがきのみや)に住みました。

 允恭天皇(いんぎょう)42年に、また大和の国に遷り、天皇は、飛鳥宮(明日香宮)に住みました。

 雄略天皇21年には、大和国内の泊瀬朝倉(はっせあさくら)に天皇が住みました。

 継体天皇5年に、山城の国・綴喜(つづき)に遷り、12年いました。その後、乙訓に住みました。

 宣化天皇元年に、また、大和の国に都が遷り、檜隈入野宮(ひのくまのいるのみや)に住みました。

 孝徳天皇の大化元年、摂津の国・長柄に遷り、岡本京に住みました。

 天智天皇6年に、近江の国に遷り、大津宮となりました。

 天武天皇元年には、また大和の国に戻り、岡本南宮に住みました。ここを、浄見原御門(きよみばらのみかど)と呼びます。

 持統天皇、文武天皇2代の聖帝は、藤原京にいました。

 元明天皇から光仁天皇までの7代は、奈良の都に住みました。

(2011年12月2日)


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