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(153)三井寺の戦い

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 日頃、比叡山延暦寺は、何かにつけて神輿を担いで強訴してきたのに、今度の以仁親王のことに関しては、どのように思ったからでしょうか、静まりかえって、声を潜めていました。

 逆に、南都の奈良興福寺は、園城寺三井寺に同心しました。三井寺は以仁親王を受け入れ、興福寺は以仁親王を迎えに出ました。

 三井寺と興福寺は、朝敵となりました。興福寺も、三井寺も攻められると言われましたが、まず三井寺を攻めることになりました。

 治承4年(1180年)5月27日、大将軍には左兵衛督「平知盛」、副将軍には薩摩の守「平忠度」がなり、都合、一万騎あまりの軍勢が三井寺へ向かいました。

 三井寺では、大衆1000人が、甲の緒を締め、楯を並べ、逆茂木を設置し、待ち構えていました。

 三井寺の戦いは、卯の国(午前6時)から始まりました。矢合わせからはじまり、一日戦いました。夜になるまでに、大衆から法師にいたるまで、300人が討ち取られました。

 夜の戦いになると、暗さが増し、官軍は寺の中へ攻め入り、火を放ちました。

 焼いた場所は、本覚堂、成喜堂、真如堂、花園堂、大宝堂、清瀧堂、普賢堂、教待和尚の本坊、ならびに、本尊等、四方八方の大講堂、鐘楼、経蔵、灌頂堂、護法禅師の社壇、新熊野の御宝殿。しめて、堂舎塔廟637字、大津の在家1853字、ならびに、興福寺の創建者・智証が中国から持ってきた一切経7000巻余り、仏像2000体、たちまちに、煙と化したことは、悲しい限りです。諸天五妙の楽しみもこの時から長く尽き、龍神三熱の苦しみともいうべき受難がいよいよ盛んになるとみられます。

(2011年11月28日)

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