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以仁親王はあちこちの女房たちに、子を産ませていました。
その中で、鳥羽天皇の第3皇女・八条の女院の屋敷にいた伊予の守・盛教の娘で三位の局と呼ばれた女性が産んだ子に、7歳の若君と、5歳の姫君がいました。
平家は、平清盛の弟、池中納言・平頼盛をもって、八条の女院に伝えました。
「姫君のことは何も言わないので、若宮を、すぐに差し出せ」
女院は、「今回のことが伝えられた日の暁に、乳母が、心細くなってどこかへ連れて行ってしまったのか、この院にはいません」と返事をしました。
頼盛がその由を告げると、平清盛は「なにを言うか。その御所以外に、どこへ行くというのだ。それなら、武士を差し向けて、捜させろ」と命じました。
この中納言・平頼盛は、女院の乳母で子宰相殿という女房と結婚していたので、日頃から女院に参上して懇意にしていました。しかし、以仁親王の若君のことがあってから、急に女院のことを疎ましく思いました。
当の若宮が、女院へ向かって、言いました。
「これほどの事になっては、逃れきることはできません。早く、差し出してください」
涙を流し続けながら、女院が応えました。
「7歳、8歳という年は、いまだ物事を聞き分けない年頃と聞く。それなのに、高貴な御身分ゆえ、このような大事になってしまったことを心苦しく思われて、そのように仰せられたのだなあ。育てがいもなかった人を、この6、7年の間、養育し、今日になってこのような憂き目に遭うのだなあ」
(2011年11月28日)
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