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(143)平等院の戦い、その8 〜以仁親王の最期〜

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 平家の侍大将である飛騨の守・影家は、老将だったので、この混乱にじょうして以仁親王が奈良へ逃げ延びるに違いないと確信し、混甲(ひたかぶと)4、500騎で、鞭とあぶみで馬を叱咤しながら以仁親王を追いかけました。

 案の定、以仁親王は、30騎ばかりで落ち延びようとしていました。しかし、光明山の鳥居の前で追いつかれ、雨が降るように矢を射かけられ、誰が放った矢かはわかりませんが、一本の矢が以仁親王の左の側腹に刺さりました。

 以仁親王は落馬して、首をとられました。

 以仁親王の供をした、鬼佐渡、荒土佐、刑部俊秀も、命をいつのために惜しむのだと、さんざんに戦い、同じ場所で死にました。

 以仁親王の乳母の子の六条佐太夫・宗信は、新野が池に飛び込んで、浮草で顔を隠し、震えていました。すると、平家方が前を通りました。

 しばらくして、平家方4、500騎がざわめきながら帰ってきました。平家方の中で、白い狩衣「浄衣」を着た、首のない死体が、格子戸の上に載せられ、かつがれていました。見ると、以仁親王でした。

 以仁親王の死体の腰には、「私が死んだら棺に入れよ」と言っていた、「小枝(こえだ)」という笛が差してありました。

 宗信は、池から走り出て、取りつきたい気持ちに駆られましたが、恐ろしくてできませんでした。平家方が皆、通り過ぎたのち、池から出て、濡れた衣服を絞って、泣く泣く、都へ戻りましたが、宗信を憎まない人はいませんでした。

 そのような折、南都・奈良興福寺の大衆7000人が、甲の緒を締め、以仁親王の迎えに来ました。先陣は木津まで進み、後陣はいまだ興福寺の総門である南大門を出ていませんでしたが、以仁親王がすでに光明山の鳥居の前で討ち取られたという知らせを受け、大衆はやむなく進軍を中止しました。

 以仁親王があと50町(約5.5キロメートル)ばかりの時に討たれてしまったことは、以仁親王の運の果てであり、情けないことです。

(2011年11月25日)


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