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(140)平等院の戦い、その5 〜平家の渡河〜

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 足利又太郎・忠綱のその日の出で立ちは、黄に赤みをおびた綾織物の直垂に、茜草で染めた革で縅(おど)した鎧をつけ、前に高く鹿の角を打った甲をかぶり、黄金作りの太刀を帯び、鷹の羽の黒白のあざやかなまだらのあるものではいだ矢を24本差し、滋藤の弓を持って、毛の白黒が銭を重ねたように見える「連銭」葦毛の馬に、柏の木にみみずくのとまった模様のある金物を打ち付けた鞍で前輪後輪の縁を金で覆った「金覆輪」の鞍を置いて乗っていました。

 あぶみを踏ん張りながら立ち、大音声をあげました。

「昔、朝敵・平将門を倒し、勧賞にあずかり、名を後世まで留めた、俵藤太・藤原秀郷(「俵」は、龍宮に行って俵を得たという伝説による)の10代目の末裔、下野の国の住人、足利太郎俊綱の子・又太郎忠綱、17歳である」

「われのような無官無位の者が、宮に立ち向かい、弓を引き、矢を放てば、天の恐れが少なからずあろうが、三位入道・源頼政の御方の、われと思わん者は、寄り合えや、見参しろや」

 そう口上し、忠綱は、平等院の門の中へ、攻め入り、攻め入り、戦いました。

 大将軍・平知盛が、それを見て、「渡れ、渡れ」と下知しました。28,000騎あまりが、一斉に渡り始めました。

 水の流れが、上流に馬を筏のように連ねた「馬筏」にせき止められました。

 雑兵たちは、下手の馬に取りつき、取りつきして、渡りました。なので、膝から上を濡らさなかった雑兵も多かったのでした。せき止められたすき間から吹き出す流れは、何者にもとめられず、流れていきました。

 伊勢、伊賀の官兵は、馬筏が破れて、600騎あまりが押し流されました。

 萌黄、緋縅(ひおどし)、赤縅など色々な鎧が浮き沈みしながら揺られていく様子は、大和の国にある紅葉の名所「神南備山」の紅葉葉が峰の嵐に誘われて、秋の暮れの龍田川の堰にひっかかり、流れていかないことに同じ。

 その流された者たちの中に、緋縅の鎧を着けた武者が3人いました。竹を編んで魚を取る「網代」に引っ掛かり、浮きもせず、沈みもせず、揺られていました。

 伊豆守・源仲綱はその様子を見とめて、

  伊勢武者は皆緋縅の鎧着て

    宇治の網代に懸りぬるかな

 と詠みました。

 3人は皆、伊勢の住人で、黒田後平四郎、日野十郎、乙部弥七という者たち。なかでも、日野十郎は年功を積んだ武士でしたので、弓の上下の部分「はず」を、岩の間にねじ込んで這いあがり、2人を引き上げて助けたということでした。

 平家の大群は、平等院の門の中へ、攻め入り、攻め入り、戦いました。

 宮方では、この混乱の間に、以仁親王を南都・奈良へ、先に逃がしました。

(2011年11月25日)

(141)平等院の戦い、その6 〜源兼綱、仲綱、仲家、仲光の最期〜

(142)平等院の戦い、その7 〜源頼政の最期〜

(143)平等院の戦い、その8 〜以仁親王の最期〜


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