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(120)信連合戦、その2

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 その後、光長らは、以仁親王の御所の中に乱入して探しましたが、以仁親王はいませんでした。信連だけを生け捕りにして、六波羅へ引き連れていきました。

 平宗盛が大床に立ち、信連を家の前の広庭に引き連れて座らせました。宗盛が言いました。

「お前はほんとうに、宣旨の使いと名乗る者に、『宣旨とは何だ』と言って、切りつけたのか。その上。検非違使の庁の下部どもをたくさん刃傷殺害したという。よくよく詰問して、事の次第を問い糾し、その後、賀茂川の河原に引き出して首をはねよ」

 信連はもともと優れた剛の者でした。居住まいを正して、あざ笑って、言いました。

「最近は、あの御所に、夜な夜な、様子をうかがう者がいたのですが、どうして何事か起こることがあろうかとあなどり、用心を怠っていたところ、夜半に、鎧をつけた者2、300騎が討ち入ってきたのだ。『何者だ』と質すと、『宣旨の使いだ』と言う」

「きょうびは、諸国の窃盗、強盗、山賊、海賊などという輩が、ときには『公達が入るぞ』、ときには『宣旨の使いだ』などと名乗ると、かねがね承っていた。それなので、『宣旨とは何だ』と言って切ったまで」

「およそ、信連が、思うがままに武装して、刀身の優れた太刀を持っていたなら、ただいま侵入してきた役人どもを、よもや一人も満足には帰さなかったものを」

「そのうえ、以仁親王がどこにいるのかは知らない。また、知っていたとしても、侍が一度言わないと心に決めたことは、例え、拷問されても言わない」

 信連はそれだけ告げて、あとは黙ってしまいました。

 並み居る平家の侍たちも、「天晴れな剛の者だ。このような者を一人当千の兵(つわもの)と言うのだ」と口々に言いました。また、その中の一人が、「あれの高名は今に始まったことではないぞ。先年、院の御所を護る武者所にいた時、大番衆(諸国から3年交替で上京し御所の警備に当たる武士の者たち)が捕らえきれなかった強盗6人を、ただ一人で追いかけて、二条堀川という場所で待ち伏せて、4人を切り、2人を生け捕って、その時の手柄で昇進した左兵衛尉だ。そのような男が斬られることの無惨さよ」と言い、居並ぶ平家の侍たちが惜しみました。

 すると、平清盛がどのように思ったのか、「それならば、斬るな」と命じ、信連は伯耆の国の日野へ流されました。

 平家が滅んで、源氏の世になってから、信連は東国へ下り、梶原景時に会い、事の次第をすべて話して聞かせました。源頼朝が「神妙なり」と感心し、信連は、能登の国を褒美に賜りました。

(2011年11月18日)


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