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(114)以仁親王の令旨、源行家の東国下向

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 以仁親王は、源頼政の話を聞いて、これはいかにすべきかと思い悩まれて、しばらく承知しませんでした。

 ここに、幼名は阿古丸で大納言の藤原宗道の孫の備前前司・藤原季通の子、少納言・藤原維長という人がいました。維長は、優れた人相見で、時の人々から、相少納言と呼ばれていました。

 藤原維長が以仁親王の相を見ました。維長は言いました。

「天皇の位につくべき相があります。けっして天下の事を思いあきらめてはなりません」

 折節、源頼政も同じように勧めてきました。

 以仁親王は、さては天照大神のお告げだろうか、とひしひしと思い立ちました。

 以仁親王は、まず、熊野の新宮の十郎源義盛を呼び出し、蔵人にし、行家と改名し、令旨の宣布のため、東国へ遣わしました。

 行家は、治承4年(1180年)4月28日、都をたちました。近江の国からはじまり、美濃尾張の源氏に、順々におふれを出して回りました。

 5月10日には、伊豆の北条蛭が小島に到着。流人で、前右兵衛佐・源頼朝に会い、令旨を取り出して、伝えました。

 信太三郎先生義盛は行家の兄なので、行家は令旨を伝えようと、霞ヶ浦の中の島・信太の浮島へ下りました。また、木曽冠者義仲は、自分の甥なので、中山道へ向かいました。

(2011年11月17日)


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