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治承4年(1180年)3月26日、高倉天皇は厳島神社に到着しました。平清盛の最愛の内侍の家を御所としました。
中二日逗留し、書写の経を仏に供え読経する法会「経会」や、舞楽が行われました。法会修法の最終日の儀式の首班となる僧「結願の導師」である園城寺三井寺の公顕僧正が高座に上り、鐘を打ち鳴らしました。法事の趣旨を表して三宝及び大衆に告げる「表白の詞(ことば)」で、「九重の都を出て、八重の潮路を越え、はるばるとここまでお越しになった志はとてもかたじけない」と読み上げました。高倉上皇はじめ、臣下たちも皆、涙を流しました。
高倉上皇は、厳島神社の本社「大宮」、本殿に向いて左にまつられた摂社「客人」に最初に参詣しました。そのあと、各々の社を詣でました。大宮から5町ほど山を回り、瀧の宮へも行きました。
公顕僧正が配電の柱に、
雲居より落ち来る瀧の白絲に契(ちぎ)りを結ぶ事ぞ嬉しき
と書きつけたと言われました。
神主・佐伯影弘は昇進し、従上五位になりました。、国司・藤原有綱は従下四品となり、院への昇殿を許されました。厳島神社の別当・尊永は阿闍梨になりました。神慮も働き、平清盛の心もさぞ、やわらいだことでしょう。
(2011年11月16日)
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