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「平家物語 巻の五」のあらすじと概要

2011年12月17日  参照回数:

 京の園城寺三井寺の炎上で終わった「巻の四」。以仁親王から“平家追討の宣旨”が出て、以仁親王・源頼政が挙兵し、比叡山延暦寺は中立の姿勢を示しましたが、三井寺は以仁親王・源頼政に呼応し、平家に反旗を掲げました。

 「巻の五」は、福原遷都から始まり、三井寺の呼びかけに応じて、以仁親王方についた南都・奈良が平家に攻められて炎上する様子で終わります。南都攻めの平家方の大将軍は、清盛の五男・平重衡。暗いので火を起こせと命令し、たちまち、東大寺大仏殿を含む南都を焼き尽くしてしまいました。

 また、「巻の五」では、源頼朝の挙兵が語られます。挙兵した頼朝のもとに集まる兵力はまだ少なく、関東にいた平家勢力に石橋山の戦いで惨敗し、落ち延びました。しかし、伊豆に流されていた文覚という僧のはからいで、後白河法皇から頼朝宛てに“平家追討の院宣”が出たことが語られます。

 平家では、頼朝に勢いがついてしまわないうちに潰してしまおうと詮議があり、4万の大軍が関東へ向かいました。静岡県の富士川のほとりに陣をはりますが、馳せ参ずるはずの駿河・伊豆の勢力が平家方に参陣してきません。軍事をまかされていた侍大将の平忠清は、都の大将軍・平知盛がぐずぐずしていたので平家方への参陣がないのだとくやしがりました。

 富士川に陣をはった平家軍は道中で加わった兵力を合わせて7万騎。しかし、頼朝方には、戦いにめっぽう強く親が討たれても子が討たれても突進してくる坂東武者が20万騎、馳せ参じているといううわさが流れました。平家方は震えあがりました。

 源平両軍は、午前6時開戦となりました。しかし、前夜、富士沼の水鳥が一斉にはばたきました。その音を聞いた平家の兵たちは、甲斐・信濃の源氏が搦め手に回る包囲作戦に出たと勘違いし、うわさがうわさを、恐怖が恐怖を呼び、われ先にと逃げ出してしまいました。

 戦略家の源頼朝は、すぐに追撃に出るべきであることはわかっていましたが、関東の固めを優先し、いったん、鎌倉へ戻りました。

 平家物語「巻の五」は、クライマックスで南都炎上が語られ、あさましかった年が明けて治承が5年(1181年)になったことが最後の一文で語られます。語り手は、絶妙の語り口と、故事や、慣用句や、修辞、繰り返しなどを用いて熱く語ります。しかし、いっぽうでは、語り手として、整然と、そして、客観的に物語を語ることをわすれていません。

 そんな語り手の冷静さが、平家物語を傑作にしているのであり、現代の人間が読んでも、読者を物語世界に引き込む力があるのかもしれません。


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