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生きてるだけで、愛。/本谷有希子のあらすじと書評「物理限界を超えた理解をあたしに」

2018年2月14日 1時30分 参照回数:

生きてるだけで、愛。/本谷有希子のあらすじ


 高校時代にまつ毛と鼻毛以外すべての毛を剃ってみたことがある板垣寧子(25歳)は、かつて「エキセントリック子(エキ子)」というあだ名がつけられたほどに、世間とズレた感覚を持っている。日常のあらゆることに独特の感性が光る言葉で毒づきながら、あらゆることに対して辟易していて、ある日バイト先のスーパーでストッキングを被ったみたいな男と獅子唐の素揚げみたいな女の安い恋愛に巻き込まれたことにうんざりしてバイト先をやめ「鬱」状態に入ってしまう。

 そんな彼女も同棲する彼氏がいる。鬱で一日の大半を惰眠に費やす寧子を放尿ついでに心配する彼氏の津奈木とは3年前の合コンがきっかけで付き合い始めた。が、津奈木は寧子とちがい「特になにもない」男で、その退屈さや糠に釘を打つような手応えのなさに寧子は日々苛立ちを感じている。

 そうした生活が続くなかで寧子はある日、津奈木の元カノだというキャリアウーマン風の女・安堂と出会う。元々、津奈木をフッたのは安堂ではあるが、彼女はあのときは判断を誤っただけで自分は津奈木とヨリを戻したいといい、寧子に詰め寄る。その後も再三にわたり安堂からの嫌がらせを受けるが、ひょんなことから寧子は安堂に連れられて入ったイタリアンレストランでバイトをすることになる。

 その店は元ヤンキーの主人が家族と少数のバイトで経営するアットホームな店で、バイト先の人々のあたたかさに触れ、寧子はここを自分にとって大切な場所にしたいと願う。しかしその矢先、ウォッシュレットの怖さの議論で寧子は他人と決して分かり合えないという絶望を実感してしまい、そのまま逃げ出してしまう。

 その後、全裸でマンションの屋上に佇んでいた寧子のもとに津奈木が訪れる。寧子はそこで自分を理解してほしいという感情をぶちまけ、津奈木はいつもどおりの頼りなさで彼女の言葉を受け止め、「でもお前のこと、本当はちゃんと分かりたかったよ」と言うのだった。



生きてるだけで、愛。/本谷有希子の書評「物理限界を超えた理解をあたしに」


 小説はあらすじなんかじゃない。ぼくはそう考えるけれど、上記の本谷有希子『生きてるだけで、愛。』のあらすじを読めば、たぶんほとんどのひとが「きっとこの小説はおもしろいんじゃないか」とおもうだろうと思う。

 もちろんこの程度で初期本谷有希子という作家の文章のおもしろさを余すことなく伝えることができたなんて微塵もおもっていないのだけど、次の一文でなにが飛び出すかわからないほどのキャラクターの狂いであり、現代の若者がいかにも使いそうな、それでいて文学シーンでの使用が避けられがちであるユーモラスな言葉に満ちた彼女の物語世界は、たったこの程度の「要約」であっても感じることができるはずだ。いや、伝わってほしい。それこそ葛飾北斎が心眼で捉えた富嶽三十六景の「虚空に爪を突き立てるような荒々しい波が富士山を背景にザッパーン!」のような1/5000秒の精度で、なにもかも完璧に伝わってほしいと、ぼくは本気でそう思う。この感情こそが、『生きてるだけで、愛。』で主題として語られている。

 寧子は鬱だ。しかし保険証もない彼女が精神科の診断を受けた描写も言及もなく、特に目標もない大学生のようにやるべきこともほっぽり出して日がな惰眠をむさぼる様は青年期によくある「なんちゃって鬱」にも思える。

 しかし彼女はなにをそんなに疲れているのだろうか。それは正しく人並みに生きようとする大多数の人間や、秩序正しく機能する社会、あるいは「あたしですらよくわからないあたし」かもしれない。この「あたしですらよくわからないあたし」というのはありがちな言葉を使えば「アイデンティティの危機」に直結する問題であり、同時にこの問題は自分自身で解決できないという絶望を伴う。この問題を解消したい欲望は「承認欲求」と呼ばれ、mixiやTwitter、Facebookといった他者と簡単にゆるくつながりを持てるSNSの登場とともに、昨今ではネット上に「ドス黒い何か」として存在感を増してきている。

 寧子の承認欲求はそれこそ凶暴と呼ぶにふさわしいほどの荒々しさを備えている。エキ子というあだ名をつけられるほどにトガっている彼女は、他人にとって理解不能な行動を次々と起こすくせに、北斎が描いたクールな波と同等の、人間の通常の身体能力では決して実現しえない超感覚で持って自分を理解してくれることを切望している。そんな彼女と対照的に描かれた恋人の津奈木は、なにもないがゆえに、寧子が自分でも気づいていなかった「承認欲求の権化」たる自身の姿を魔法の鏡のように映す終盤は圧巻である。

 ……などと書けば本谷有希子が超絶小説の上手い「策士」のように感じられるが、ぼくは決してそうは思わない。などといえばdisってるように感じられるけれど、ある種の小説にとって「下手さ」や「荒さ(粗さ)」は唯一無二の個性となる。本作のような本谷有希子の初期作品は、行き当たりばったりとも思えるような自意識過剰な語りの氾濫が物語を忘れさせるほどの狂気で襲ってくる。その狂気にのまれ、ズタズタに引き裂かれ、そして渇いた笑いをひとり気持ち悪く漏らすことにこそ、彼女の小説を読むよろこびがある。彼女の作品を手に取ったなら、あなたの理性の奥底に眠る「気持ち悪い自分」を全面的に信頼してあげて欲しい。そう、あなたは、いや、お前はめちゃくちゃキモいのだ。それを誇れ。物理限界を超えてそんなお前を信頼してやれ。

【この記事の著者:まちゃひこ】
文芸作品やアニメのレビューを中心に行うフリーライター。文系一直線かとよく勘違いされるが、実は大学院で物理とかを研究していた理系。その他にも創作プロジェクト「大滝瓶太」を主宰し、小説の創作や翻訳を行っている。電子書籍レーベル「惑星と口笛ブックス」より短篇集『コロニアルタイム』を2017年に発表。
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