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(97)藤原師長の遠流

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 太政大臣・藤原師長(もろなが)は官職を停止されて、東国へ流されました。

 藤原師長は、去る保元の乱の際は、父の悪左大臣・藤原頼長の連座として、兄弟4人で流罪となりました。兄の右大将・藤原兼長、弟の左中将・藤原隆長、藤原範長禅師は、帰洛を待たずして、配所にて亡くなりました。

 師長一人、土佐(高知県)の西南群、幡多で9年の春秋を送り、長寛2年(1164年)8月に召し返され、本位に復帰しました。翌年に正二位になり、仁安元年(1166年)10月に、前中納言から権大納言に昇進しました。その時は、大納言の欠員がなかったので、定員外に加えられました。大納言が6人になったのは、そのときが初めてといいます。また、前中納言から権大納言に昇進したことも、藤原南家・真作の子で後山階大臣三守公、源高明の孫で俊賢の子の宇治大納言隆国卿の他には、先例がないといいます。

 藤原師長は、管弦の道に通じ、才能技芸に優れ、昇進も順調で、太政大臣まで上った人物です。それなのに、どのような前世の報いでしょうか、再び遠流の身となりました。

 師長は、保元の乱の際は、南海の土佐に流され、治承の今は、今度は、東国の尾張(愛知県)に流されました。

 しかし、もとより罪なくして配所で月を眺めるということは、風流に通じた人にはむしろ願ってもないこと。師長は、このたびの遠流を苦にしませんでした。かの唐の賓客・白楽天は、しん陽江のほとりに流され、日々を楽しみましたが、その故事を思い出して、師長は、愛知群鳴海の鳴海潟を遠くに眺めつつ、おぼろ月を見上げ、海風に吟じ、琵琶を奏で、和歌を詠み、なお、ゆうゆうと月日を送りました。

 あるとき、師長は、尾張の国の第三の宮・熱田明神に参詣しました。その夜、読経や音楽を奏して神を慰める「神明法楽」のために、琵琶を奏で、歌を詠みました。そこはもともと田舎なので、風流情緒を理解する者はいません。里の老人、村の女、漁師、牧師など、頭を垂れて耳を澄ましていますが、音の高低や、旋律の変化を理解する者はいませんでした。しかし、中国の故事で、胡巴(こは)が琴を弾くと魚が飛び上がって躍動し、虞公が歌を歌うと、梁塵が動いたといいます。何物かが妙を極めた際は、自然に感動がわき上がるもの。居並んだ人々は身の毛が立って、満座が不思議な気持ちになりました。

 やがて深夜に及ぶと、琵琶の調子の名前「風香調」のうちに、花のふんふんたる香りが漂い、琵琶の秘曲「流泉」が奏でられると、月が「流泉」の泉と清明の光を争いました。

 和漢朗詠集巻下の中から『願はくは今生世俗文字の業、狂言綺語(正道を逸した妄言)の謬(あやまり)を以て」と朗詠し、秘曲を奏でると、神明が感応し、神殿が大いに揺れました。

 師長は、「平家の悪行が無かったら、今、この瑞相(ずいしょう)をどうして拝むことができただろうか」と、感動の涙を流しました。

(2011年11月9日)


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