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(86)平重盛の病気

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 重盛が病気になったころ、中国の王朝・宋から優れた名医が本朝に来て滞在していました。平清盛は、そのときは福原の別荘にいましたが、平盛国の子で越中の前任国司である平盛俊を使者にして、小松殿へ遣わしました。

 盛俊は、清盛からの伝言「病気がますます進んでいるとのこと。宋から名医が来ている。折よく、よろこばしいことだ。名医を呼んで、治療せよ」と伝えました。

 重盛は、助け起こされながら、盛俊と対面し、告げました。

「まず、医療のことは、畏まって承りましたと申し伝えよ。しかし、お前もよく聞け。延喜の帝・醍醐天皇は、賢王にあらせられたが、異国の人相見を都へ入れたことは、末代までの賢王の御誤り、本朝の恥と、ものにも書かれている。いわんや、重盛ほどの凡人が、異国の医師を王城へ入れることは、国の恥ではなかろうか」

「漢の高祖は、3尺(約90センチ)の剣を引っさげて天下を治めたが、淮水地方の南の地・淮南の黥布(げいふ)を討ち取ったとき、流れ矢に当たって傷を負った。后(きさき)の呂太后が名医を呼んで診せたところ、医師は『この傷は治ります。ただし、50斤の金をもらえれば治します』と言った」

「高祖は、『わが守備の強かったころは、多くの戦いに出て傷を被ったが、痛みはなかった。わが運は、すでに尽きた。命はすなわち天にあり。中国の周代の名医・扁じゃく(へんじゃく)といえども役に立たないだろう。されども、金を惜しんで治療をしなかったと思われる』と告げ、50斤の金を医師に与えながら、治療はしなかった。高祖の言葉がまだ耳に残っているが、今もって感心している」

「かりそめにも、重盛は、朝廷の高官である参議・三位以上「九卿」に列し、太政大臣・左右大臣の「三台」に上った。それも、天命だ。どうして、天命を察せずに、おろかにも医療に努めようか。病気が前世から定められた定業なら、治療をしても治らない。また、病気が定められた業でないなら、治療せずとも治るだろう」

「かの古代インドの名医・ぎ婆(ぎば)の医術ですら及ばず、釈迦は、抜提河(ばつだいが)のほとりで入滅された。これすなわち定業の病で、治療すべきでないことを釈迦が示したのだ。治療を加えたのは仏の体、治療をしたのはぎ婆である。定業の病が医療で治るなら、どうして、釈迦が入滅するだろうか。定業の病気は治療すべきでないことは明らかだ」

「ましてや重盛の体は、仏身ではない。どんな名医といえども、ぎ婆には及ばないだろう。たとえ、中国の四医書(素問経・大素経・難経・明堂経)を学び、百の治療に通じていたとしても、どうして、凡人である重盛の体など治療することがあろう。また、たとえ、五経の説が衆病を治すといえども、どうして、定業の病気が治ることがあろう。さらに、その宋の医師の手によって命が長らえたとすれば、本朝の医学は無きに等しくなる」

「治療の効果が無いのなら、宋の医師に会っても仕方ない。ましてや、本朝の大臣をもって、異国の浮遊の客分の医師を呼ぶことは、国の恥であり、政道を衰えさせることになる。たとえ、重盛の命は亡するといえども、どうして、国の恥を思う心がなかろうか。父・清盛に、そう伝えよ」

(2011年11月7日)


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