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(81)俊寛と有王の再会

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 俊寛はそのまま気を失いそうになりました。有王は俊寛を膝のうえに載せ、「多くの波路を乗り越えてはるばるここまで訪ねてきたというのに、どうしてこのような悲しい目に遭わせようとするのですか」と、しみじみと、訴えました。

 すると、俊寛が一息ついて、有王に助け起こされて、言いました。「ほんとうに、多くの波路を乗り越えて、よくここまで来てくれたものだ。明けても暮れても都のことだけを思い暮らしていたので、恋しい人の面影を夢に見ることもあり、また、幻に見ることもある。体がひどく衰えてからは、夢も、現実も分からなくなった。なので、今、お前が来たのも、はかない夢としか思えない。もし、ほんとうに夢であったら、覚めてからどうすればよいだろう」

 有王は、言いました。「これは現実です。それにしても、このご様子で、今まで生きながらえていたことは、不思議に思えます」

 俊寛は、言いました。「そうよ。去年、藤原成経や平康頼に迎えが来た時に身を投げればよかったものを、よしなき成経が『今一度、都からの音信を待たれよ』などとなぐさめ置いたのを、愚かにも、もしやと頼み、命を長らえようとした。しかし、この島には食べ物もなく、まだ体力が残っていたときは、山に登って硫黄というものを取り、九州から来る商人に食糧と替えてもらっていた。しかし、日が経つにつれ体が弱り、今はそのようなことはしていない。今日のようにのどかな日は、磯に出て、漁師たちに、手をすり合わせ、膝を折って、魚をもらい、潮が引けば貝を拾い、荒海布(あらめ)を取り、磯の苔にはかない命を託して、悲しくも今日まで生きながらえてきた。それでなければ、浮世を渡る方法はなかったと思う」

 俊寛が「ここで話したいこともあるが、ひとまずわが家へ」というので、有王は、この有り様で家があるのかといぶかしく思いました。しかし、俊寛を肩に載せ、教えられるままに行くと、松の木の一群の中に、浜で拾った寄り竹を柱にし、結んだ葦(あし)を桁(けた)や梁(はり)として渡し、松の葉を取ってかけた家がありました。とても、雨風をしのげるとは思えません。

 有王は、言いました。「なんと奇怪なことだ。もとは法勝寺の寺務職として、80余か所の荘園の寺務を司どって、棟門・平門などの門構えのある家で、4、500人の所従・眷属に囲まれていた人が、このようなつらい目に遭っているとは、不思議この上ない」

「“業”にはさまざまなものがあり、現生に業を造って現世に果を受ける『順現業』、現生に業を造って未来次生に果を受ける『順生業』、現生に業を造って未来次後生に果を受ける『順後業』という。俊寛は一生涯の間、身に用いたところのものは、みな大伽藍の寺物、仏物だ。ならば、信者の布施を受けて修行せず放免無慙に世を過ごす罪という、かの『信施無慚の罪』によって、今生ですでにその報いを受けているように見える」

(2011年11月5日)


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