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さて、有王は、商人船に乗って、鬼界が島に渡りました。都でわずかに聞いていたことなど話になりませんでした。田んぼがなく、畑がなく、人里もありません。村もありません。もちろん人間はいますが、話す言葉を聞き取ることができません。
有王が島の人へ「もし」と声を掛けると、「なんだ」と答えました。有王は、「ここに都から流された法勝寺の執行・俊寛僧都という人の行方を知りませんか」と続けて尋ねました。島人は、法勝寺も、執行も、知っていれば返事をしたでしょうが、ただ頭を振って「知らない」といいます。
その中に事情を知っている人がいて、「それよ。そのような人は3人ここにいたが、2人は召し返されて都へ帰った。今は1人が残されて、あちこちを歩いているが、その後は行方知らずとなっている」と告げました。
有王は、危険な山奥も分け入り、峰によじ登り、谷を下りました。しかし、白雲が後にたち、来た道も分かりません。晴れた日のかすみが夢を破り、夢の中の面影もかすんでいます。山では、いつも訪ね歩いていましたが、逢うことはできませんでした。海辺で尋ねると、砂浜に足跡を刻むカモメや、沖の白浜にはばたく浜千鳥の姿しか見当たりません。
ある朝、とんぼのようにやせ細ろえた者が、よろよろと歩いてきました。もとは法師だったと見え、髪の毛は空へ向かって生え、頭に藻が巻きつき、いばらの冠をかぶっているようです。関節があらわれて皮膚がたるみ、身に着けているものは、絹か布かの区別もつかない。片手に荒海布(あらめ)を持ち、もう片方の手にはもらった魚を持ち、歩いているようですがままならず、よろよろとして出てきました。
有王は都にて多くの物乞いを見ましたが、このような者はいまだ見たことがありません。「諸の阿修羅は大海の辺にある」といい、インドの鬼神・阿修羅の地獄・餓鬼・畜生・修羅を加えた三悪四趣は、深海大海のほとりにあると仏法にいわれますが、もしかしたら道をあやまって餓鬼道などへ迷い込んできたようにも思えます。
次第にその者が近づいてきました。もしかしたらこのような者でも主・俊寛の行方を知っているかもしれないと思い、「もし」といえば、「何だ」と答えました。
有王は、「ここに都から流された法勝寺の執行、俊寛僧都という人はいませんか」と尋ねました。なんと、有王こそわかりませんでしたが、俊寛のほうではどうして忘れることができましょう、「私がそうだ」と言いながら手に持っていたものを投げ捨てて、砂の上に倒れました。
そのようにして、有王は、主・俊寛の居場所を知りました。
(2011年11月1日)
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