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(62)平康頼の卒塔婆

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 平康頼に縁のある僧で、もししかるべき船便があれば鬼界が島へ渡り、康頼の様子を尋ねようと思っている者がいました。僧は、西国修行に出て、まず、厳島神社へ参詣しました。すると、宮人に似た、狩衣装束を着けた人が一人出てきました。

 僧は、宮人とよもやま話をした後、「神明は、和光同塵の利生、さまざまなりと言いますが、なかでも、こちらの神様は、どのような所以で、大海の魚の鱗と縁があるのですか」と問いました。

 宮人は、「それは、こちらの神様が、法華経序品にとく八大竜王の第三の王の姫で、胎蔵界の垂迹だからです」と答え、厳島に神仏の垂迹があってから、済度利生の今に至るまでの、深く込み入った話などをしました。それなので、本社三女神・相殿五座の八社の御殿がいらかを並べているそうです。また、社は海のほとりなので、塩の満ち引きにつれて月影が澄み渡り、潮が満ちれば、大鳥居や朱色の玉垣が瑠璃のようで、潮が引けば、夏の夜でも、厳島神社の前の白浜に霜がおりるといいます。

 僧は、いたく尊く思い、静かに読経していました。すでに日は暮れて、月が出ています。潮が満ちてくると、沖から、所在なく揺られながら寄せてくる藻屑のなかに、卒塔婆の形が見えました。なんとはなしに取り上げてみると、「薩摩方沖の小島にわれあり…」と書かれ、流された卒塔婆でした。文字は刻み付けられていたので、波に洗われることなく、鮮やかに読めました。

 不思議なことに出会った僧は、修行僧が仏具や旅具を入れ背負う箱である「笈(おい)」の肩に卒塔婆をさして、都へ帰りました。

 平康頼の老母の尼僧と妻子は、一条の北で紫野という所に忍び暮らしていましたが、僧は、その卒塔婆を見せました。家族たちは、「ああ、どうしてこの卒塔婆は中国の方へ流されるでもなく、何をしにここまで流され、運ばれてきたのだろう。今更、恋しさを深めようというのか」と悲しみました。

 卒塔婆の話は、後白河法皇まで届き、法皇は卒塔婆を確かめました。「ああ、無残なことだ。この者たちの命はいまだ尽きていないぞ」と涙を流して悲しみました。

 後白河法皇が卒塔婆を平重盛へ送り、重盛は、父・清盛に見せました。

 柿本人麻呂は

  ほのぼのと明石の浦の朝霧に島がくれゆく舟をしぞ思ふ(『古今集』巻九)

 と詠み、山部赤人は

  和歌の浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺をさしてたづ鳴き渡る(『万葉集』巻六)

 と詠み、住吉の明神は

  夜や寒き衣や薄き片そぎの行きあひの間より霜やおくらん

          (『新古今集』巻十九、*住吉の御歌なむ)

 と詠み、三輪の明神は、

  我が庵(いお)は三輪の山もと恋しくば訪(とぶ)らひ来ませ杉立てる門

          (『古今集』巻十八、*読人知らず

 と詠みました。

 昔、スサノオノミコトが31字の和歌(やまとうた)を詠み始めてよりこの方、もろもろの神仏も、和歌の詠吟に、百千万の思いを込めるようになりました。

(2011年10月17日)


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