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(57)比叡山延暦寺

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 その後、山門・比叡山延暦寺はいよいよ荒廃しました。法華三昧常行三昧を行う十二禅衆のほかは、住み込む僧はほとんどいなくなりました。

 谷々の講演所での講演もなくなり、堂々の行法も荒れ果てました。修学の窓は閉ざされ、座禅の床は組む人もなくなっています。天台の春の花もにおわず、天台宗の教義の秋の月も曇りました。300年余り続く法灯に火を入れる人もいなくなりました。一日6回不断にたかれていた香の煙も絶えました。

 かつては、堂舎が高くそびえ、三重の建物を晴天に仰ぎ、棟梁ははるかに秀でて、四面のたるきを白露の間にかけていました。しかし今は、供物は汚れほうだいで、仏像も雨露にぬれ、夜は月の火が軒のすき間から差し込み、朝は露のしずくが垂れて連座のよそおいを添えるありさまです。

 そもそも、末法の世になり、天竺(インド)・中国・日本の仏法は次第に衰退しました。昔、仏が法を説いた、天竺の五山の一つ・竹林精舎、捨狐独園も、このごろは、トラやオオカミなど虎狼の棲家となり、建物の礎だけが残っているばかりでしょうか。竹林園にあった池である白鷺池は干上がり、草のみがぼうぼうとはえています。如来が霊鷲山の中路に立てた2つの塔婆である「退凡卒塔婆」も苔ばかりがむして、傾いていることでしょう。漢の名刹・天台山、五台山、白馬寺、玉泉寺も、いまは、住む僧もなく荒れ果てて、大小乗の経文も、箱の底で朽ちていることでしょう。

 わが国でも、南都・奈良の七大寺(東大寺、興福寺、元興寺、大安寺、薬師寺、西大寺、法隆寺)が荒れ果てて、天台宗・真言宗・法相宗・律宗・成実宗・?舎宗・三論宗・華厳宗の八宗に禅宗を加えた「八宗九宗」も跡を継ぐものがおらず、愛宕山の愛宕権現社・神護寺も、かつては、堂塔が軒を並べていましたが、一夜のうちに荒れ果てて、今は、天狗の棲家となっています。

 このような有り様なので、至宝といえる天台の仏法も、治承(1177−1181)の今に及んで、滅び果ててしまうのでしょうか。心ある人たちは皆、嘆き悲しんでいます。

 誰も住まなくなった僧坊の柱に、何者のしわざでしょうか、一首の歌が書きつけられました。

  祈りこしわが立つ杣(そま)の引替へて

   人なき峯と荒れやはてなむ

 この歌は、昔、伝教大師が当山を開いた時、無上正遍智の仏たちに、わが立つ杣(切り出す山)に冥加あらせたまえと祈ったのを思い出して詠んだのでしょうか。まことに優雅だと取りざたされました。

 毎月8日は、薬師如来をまつる縁日ですが南無と唱える声も聞こえません。4月は日吉山王の例祭の月ですが、供物を捧げる者もいません。朱塗りの玉垣だけが神々しく古びて、しめ縄だけが残っています。

(2011年10月17日)


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