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(56)比叡山延暦寺の僧兵

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 山門・比叡山延暦寺の騒動を鎮めるために寺門・三井寺での後白河法皇の灌頂はありませんでしたが、山門には、武装する荒くれ僧の堂衆と、学僧である学生(がくしゅう)との間に、争いが起きて、たびたび合戦におよんでいました。毎度のこととして、学僧が打ち負かされていました。

 山門の滅亡は、朝家の御大事と思われました。

 堂衆とは、学生の従者であった童が成人して法師になったものや、中間法師という所用を行う妻帯僧たちでした。金剛寿院の座主・覚尋(かくじん)僧正が山を治めていたころは、三塔に順番に宿直し、夏衆(げしゅう)と号して、仏に花を添える者たちでした。

 それが、近年は、「行人(ぎょうにん)」といい、学生大衆をものともせず、かくて、たびたびの戦に打ち勝っていました。

 堂衆は、師匠の命令に背き、謀反を企てるにいたっています。そこで、大衆は、朝廷へ、すみやかに堂衆を成敗するよう奏聞しました。朝廷から、武士たちへ、堂衆を成敗するよう、触れが出ました。

 平清盛は、堂衆成敗の院宣をもらいました。紀伊の国の住人・湯浅権守宗重以下、畿内の兵2千人余りを、大衆の軍に加えて、堂衆へ差し向けました。

 堂衆はいつもは東陽坊にいましたが、これを聞いて、近江三箇の庄(志賀郡下坂本村)に下り、加えた数多の勢力を引き連れ再び山に登り、早尾坂(東坂の坂口早尾社のある辺り)に城郭を構え、たてこもりました。

 治承3年9月20日、辰の刻に、大衆軍3千人、官軍2千人余り、合わせて5千人余りの軍勢が、早尾坂に、ときの声をあげて攻め入りました。

 しかし、城内から石弓が打ちかけられ、大衆・官軍の多くの兵が倒れました。また、大衆軍は官軍を前に立てようとし、官軍は大衆軍を前に立てようとして、争いごとなどが起こるうちに、ばらばらになり、存分に戦うことをしませんでした。

 堂衆に加担する悪党たちは、諸国の窃盗・強盗・山賊・海賊などでした。欲心が旺盛で、命知らずばかり。頼りになるのは自分ひとりと心に決めて戦ったので、今度もまた、大衆学僧たちが、破れました。

(2011年10月17日)


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