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(38)保元の乱、平治の乱

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 太政大臣入道・平清盛は、これほどの多くの人々を召し捕らえても、いまだ腹の虫がおさまらない様子。はやくも、赤地の錦の直垂をつけ、黒糸縅(くろいとおどし)の鎧を腹に巻き、白銀の金具を打ち付けた胸鎧をはめています。先年、安芸守だったときに、新任国司の参拝の折に霊夢を授かり、厳島の大明神からの授かりものとして現実世界に現れた、常に枕元に立てている銀の蛭巻をした小長刀を脇にはさみ、中門の廊下に出ました。なみなみならぬ気配を漂わせています。

 平清盛が「貞能(さだよし)」と呼びつけると、筑後守・平貞能が、黄赤にやや黒味を兼ねた直垂に、緋縅(ひおどし)の鎧を身に着け、清盛の前にかしこまりました。

 清盛は「貞能、以下のことをどう思うか」と話し始めました。

「保元の乱では、清盛の叔父である右馬助(うまのすけ)・平忠正をはじめとして一門の半分以上が、新院・崇徳上皇に味方した。崇徳上皇の第1皇子・重仁親王のことは、清盛の父で故刑部卿・平忠盛殿が養育したのだが、簡単に見放すことはできなかった。しかし、亡き鳥羽上皇の御遺戒に従い、清盛は後白河院に味方して先駆けを務めた。これが、第一の奉公である」

「次に、平治元年12月、信頼、義朝が謀反を起こした平治の乱にさいしては、後白河上皇と二条天皇を幽閉し、内裏に立てこもり、天下は暗闇に包まれた。しかし、清盛が、僭越ながら、兇徒を追い落とした。新大納言・藤原経宗と別当・藤原惟方を召し取るまで、後白河法皇のためにたびたび命を失うところであった」

「なので、世の人々がなんと言おうと、後白河法皇は、当家一門を7代まで重用し、うち捨てることなどできないはずだ。それなのに、藤原成親という無用のいたずら者や、西光などという下賤の不当人が言うことを信用し、しまいには、平家一門を打倒するご決断を下されるとは何ごとだ」

「もし、今後も後白河法皇に讒言する者がいたら、平家追討の院宣を出すとも思われるぞ。院宣が出て朝敵となってしまったら、どんなに悔いてもどうにもならない。世が静まるまでしばらく、後白河法皇を鳥羽の北殿に移すか、もしくは、ここにでも御幸させようと思うが、どうか」

「もし、後白河法皇を移せば、北面の武士たちの中から弓を引いてくる者の一人も出てこよう。迎え撃つ用意をせよと、侍どもに触れを出せ。清盛は、院方への奉公を思い切ったぞ。馬に鞍を置け。鎧を取り出せ」

(2011年10月12日)


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