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ミニシアター通信平家物語 > (21)祐慶の沙汰

(21)祐慶の沙汰

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 比叡山延暦寺の大衆は、滋賀郡石山村国分にあった寺へ向かいました。そこに留め置かれていた明雲は、驚いて端近くまで出てきて、「およそ勅命をもって勘当させられた者は月日の光に当たってはならないとさえ言われている。ましてや、即刻追放せよとの院宣も下されている。大衆は、ただちに、山へ戻らなければならない」と告げるには、「大臣になる家に生まれ、比叡山に上りしよりこのかた、広く天台の教法を学び、顕教・密教の双方を修得した。ただ、当山の興隆をのみ願っている。また、朝家を護持し祈ることもおろそかにしていない。衆徒を育む志も深く持っている。山王権現も照覧してくださっている。わが身に間違ったことはない。無実の罪により遠流の重科をこうむったからには、世をも、人もを、神仏をも恨むことはない。はるばるとここまで訪ねてきた衆徒の尊い志こそは、世にも、次世にも報いることはできない」と、絞った茶褐色の衣の袖を揺らせば、大衆も、みな鎧の袖を濡らしました。

 さて、大衆が輿を寄せて、「はやくお乗りください」と伝えれば、明雲は「かつては3千人の衆徒の貫主だった。今はこのような流人の身となり、どうして、尊い修学者、智者たちの大衆にかつがれて山に登ることができよう。かりに登るとしても、わらの草履を足に縛り付け、大衆といっしょに歩き続けて上るものよ」と腰に乗ろうとしませんでした。

 そのとき、西塔の住僧で戒浄坊の阿闍梨祐慶という、身の丈7尺(約210センチ)の荒くれ僧が、大荒目の縫い目に金色の糸を交ぜた黒革縅の鎧を銅の下に着込み、甲を脱いで法師たちに持たせながら、白柄の長刀を杖にして、大衆の中を押し分けて、先座主の前に出て、大きな眼を見開いて、明雲をしばし、にらみつけました。そして、「そのようなお心であるから、このような憂き目にも遭われる。はやくお乗りください」と告げました。明雲は恐ろしさのあまり、急ぎ、輿に乗りました。

 大衆は明雲を取り返したうれしさに、いやしき法師たちはさておき、尊い修学者たちが輿を担いで山へ戻りました。その間、祐慶は長刀も輿のながえもしっかりとつかんだまま、輿の前を担ぎ、ほかの僧は担ぎ手を交代しても祐慶だけは代わりませんでした。けわしい東坂本から叡山へ上る道を、さも平地を行くがごとくに進みました。

 東塔にある義真和尚創建の大講堂の庭に輿を止め、大衆は再び詮議しました。「ここに我らは粟津へ行き貫主を奪い返してきた。しかし、勅命での勘当で遠流となった人を、また貫主として敬うことはいかがであろうか」と評定しました。

 戒浄坊の阿闍梨祐慶が前と同じように進み出て声をあげるには、「そもそも、当山は日本無双の霊地にて、鎮護国家の道場である。山王権現のご意向盛んにして、仏法と王法には優劣がない。されば衆徒の意見に至るまで優劣なく、いやしき法師たち軽んぜらるることはない。ましてや、高貴な知恵を持ち合わせる3千人の衆徒の貫主である。徳行重く、叡山一の和尚である。その貫主が罪なくして罪をこうむっては、山じゅう、都じゅうが憤り、興福寺、園城寺からあざけられることにもなりはしないか。今、我ら、顕密の主を失って、修学の僧たちが長く学問の勤めを怠ることになっては心苦しい。つまりはこの祐慶を張本人として、禁獄、流罪にもなし、首をはねられよ。今生の面目であり、冥途への思い出とならん」と、両方の眼からはらはらと涙を流せば、数千人の大衆も、もっともと同心した。そのときから、祐慶を「怒房(いかめぼう)」、弟子の慧慶律師を「小怒房(こいかめぼう)」と呼ぶようになりました。

(2011年10月7日)


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