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(20)日吉権現の霊験

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 前天台座主・明雲は伊豆へ向けて出発しました。いっぽう、山門では、「つまるところ、われらが敵は西光父子に勝るものはいない」と、西光父子の名を書いて、根本中堂に安置されている薬師経の御護神である十二神将の像のうち、金毘羅大将の左足に踏ませました。「十二神将、七千夜叉(十二神将の眷属)、時を待たず、西光法師父子が命を召し取りたまえ」と、わめき叫んで呪詛することは、聞くほどに恐ろしいことです。

 明雲が追い立てられているうちに、山門では、大衆が寄り集まって詮議しました。「そもそも義真和尚よりこのかた、天台座主の55代に至るまで、今だ流罪など聞いたことがない。ことの起こりをひも解けば、延暦のころ、794年に桓武天皇が平城京を造営し、伝教大師は当山に登り、天台の法門をこの地に広めてからこのかた女人禁制の山として、3千人の僧が居を構えている。峰では法華経読誦の年月を経て、ふもとには山王七社があり、霊験、日に新たなものがある。かのインドの霊山は、王城の東北にある釈迦仏の生まれたいわやである。我が国の比叡山も、帝都の鬼門にそば立ち護国の霊地。代々の賢帝智臣も、ここで仏戒を受けている。末代といえども、どうして当山に傷をつけるようなことができるか。憂慮すべからざる」とわめき騒ぎ、たちまち、山じゅうの大衆が、一人も残らず、東坂本へ下山しました。

 山を降りた大衆は、十禅師権現の前で、再び詮議しました。「我ら、これより粟津へ向かい座主を山へ奪い返そう。しかし、追い立ての護送役人がついているので、容易に奪い返せるとも思えない。今は、日吉権現のお力に頼むほかない。ほんとうに、大事なく取り返すことができるなら、まず、ここで一つのしるしを示したまえ」と、老僧たちが肝胆を砕いて祈念しました。

 すると、無動寺の法師・乗円律師が召使う童子で、18歳になる鶴丸というものが、苦しみ始めました。体中に汗を流しながら狂いだしました。鶴丸は、「我に十禅師権現が乗り移りたまえり。世も末といえども、どうして当山の貫首(=座主の別称)を流罪にできようか。世の人々がとこしえに心を痛める。そうなってしまったら、我れがこの山に留まっても何になろう」と、左右の袖を顔に押し当てて、さめざめと泣き始めました。

 大衆はその様子を見て怪しみました。「まことの十禅師権現のご宣託なら、我らに証拠を示し下さい。ひとつ、ひとつ、持ち主にお返しください」と言って、4、5百人の老僧たちが、手に持っていた数珠を、十禅師権現の大床の上に投げました。鶴丸が走り回って、全部を元の持ち主に返したので、大衆は、神明の霊験新たなることの尊さにみな手を合わせ、十禅師権現の宣託に感激の涙を流しました。

 大衆は「それならば、出向いて、座主を奪いかえしてくれようぞ」と、雲かのごとく出発しました。志賀唐崎(現・大津市北部)の浜路を歩き続け、山田矢ばせ(湖上交通の要所の港)の湖上に船を出し、それを見て、いかめしくしていた追い立ての役人や、護送の官吏たちは皆、散りぢりに逃げ去ってしまいました。

(2011年10月7日)


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