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ミニシアター通信平家物語 > (12)加茂川の水、双六の賽、山法師

(12)加茂川の水、双六の賽、山法師

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 加賀で、国司となった師高と目代の師経が、やりたい放題の狼藉をはたらくエピソードが紹介されました。加賀の大衆は、かくなるうえは、比叡山に訴えでようと都の北麓に向かいました。ここで、白河上皇の有名な言葉とともに、当時の寺院勢力のありようが紹介されます。

 加賀の大衆は、比叡山を登り、白山中宮の神輿を客人(まろうど)の宮まで運びました。客人の宮は、白山妙利権現を祭っています。いうなれば、白山妙利権現が父親で、白山中宮が子ということになります。訴訟の成り行きはわかりませんが、生前は父子であった神様がこのように対面されたのはさぞ喜ばしいことでありました。浦島太郎が七世を経てから孫に会うことにもまして、また、釈迦が出家したときに夫人の胎内にあった子がのちに霊鷲山の釈迦に会えたことにもまさるほどの喜びであったことでしょう。三千の大衆が寄り集まって、七社の神人がそでを連ねて、刻々と神仏に読経祈祷する様子は、言葉には尽くせないほどの勢いでした。

 比叡山の大衆は、加賀の国司師高の流罪と目代の近藤師経の禁獄を、たびたび朝廷に迫りました。しかし、いっこうに裁断が下されませんでした。しかるべき官職にいる公卿や殿上人は、「すぐにでも御裁断あるべきものを。昔から叡山の訴えはほかとは違い格別のものであった。大蔵卿の為房(ためふさ)や大宰権師の季仲(すえなか)のような重臣でさえ叡山の訴訟により流罪になった。師高のような取るに足らぬ者であれば、処罰するのになんの子細があろうか」と申し合わせていました。しかし、大臣は禄を重んじて諫めず、小臣は罪を恐れて口をはさまないという有り様で、みな口を閉じてしまいました。

 白河上皇は「加茂川の水、双六の賽、山法師、これぞわが御心に叶はぬもの」と比叡山の大衆の暴挙をなげいたそうです。鳥羽院の時代にも、越前の平泉寺を比叡山に寄進したのは、鳥羽上皇が比叡山に深く帰依していたために「理をまげて非を行う」と院宣を下してのことでした。大蔵卿の為房が流罪になったときも、大宰権師の大江匡房が「もし山門の大衆が日吉の神輿を担ぎたてて訴訟に及んだら、どうなさいますか」とうかがいをたてました。鳥羽上皇は「山門の訴訟とあれば黙殺するわけにもいくまい」ともらしました。

(2007年6月23日)


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