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(7)建春門院と平時忠

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 皇位の継承にからんで平家が勢力を伸ばしていきます。

 永万元年(一一六五年)は天皇が崩御した喪中の年だったために、大嘗祭の前に天皇が十月下旬に加茂川に御幸してみそぎを行う御禊(ごけい)も大嘗祭も行われませんでした。

 建春門院と呼ばれた平滋子はまだ東の御方と呼ばれていました。建春門院が産んだ五歳になる後白河法皇の皇子を太子に立てるという噂が流れました。十二月二十四日に突然に親王の宣旨が出ました。年が明けて、新しい年は仁安と号しました。仁安元年(一一六六年)の十月八日には、親王の宣旨を受けた皇子が東三条の御殿で東宮(皇太子)に立てられました。東宮は六条天皇の伯父で六歳、六条天皇は甥にあたり三歳、父子長幼の順序にはあいませんでした。もっとも、寛和二年(九八六年)に一条院が七歳で天皇に即位して三条院が十一歳で東宮に立ったことがあるので先例のないことではありませんでした。六条天皇は二歳で天皇になり、五歳の年の二月二十九日に譲位して新院となりました。まだ元服もしていないのに太上天皇の号を贈られました。

 高倉天皇が皇位についてから、いよいよ平家が栄華を極めたようです。国母となった建春門院は、清盛の北の方である八条の二位殿の妹です。

 大納言であった平時忠は、建春門院の兄であり、天皇の外戚となりました。何事においても高倉天皇の執権職のように見えました。当時の任官や叙位はすべて時忠の意のままとなりました。唐の玄宗皇帝から楊貴妃が寵愛されたときに楊国忠が栄えたかのようでした。世の評判や栄華もこれ以上のことはありませんでした。清盛も大小につけて時忠の言うに従ったので、人々は、時忠を平関白と呼んだそうです。

(2007年4月29日)

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