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ミニシアター通信平家物語 > (392)高階通憲(信西)の娘

(392)高階通憲(信西)の娘

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登場人物:後白河法皇、建礼門院、高階通憲(信西)の娘・阿波内侍

 大原の奥にある寂光院を訪れた後白河法皇は、建礼門院の庵室の前で「誰かいるか、誰かいるか」と呼びましたが、返事はありませんでした。しばらくして、年老いた尼が一人、来ました。後白河法皇は「女院はどこへ行かれたのだ」と聞くと、「この山の上へ、花を摘みに入られました」とのこと。

 後白河法皇が「世を厭うのは習いといいながら、そのようなことに仕える人もいないのは痛わしい」と告げると、尼が答えました。

「五戒十善の天子のご果報が尽き果てたので、今はこのような暮らしをしています。肉身を捨てて浄土に往生するために修行しているので、御身を惜しむことはありません。因果経には、『欲知過去因、見其現在果、欲知未来果、見其現在因』と説かれています。過去未来の因果を、悟れば、少しも嘆くことはありません」

「昔、釈迦は、19歳で生地の迦毘羅城を出て、インドの檀特山のふもとで、木の葉を重ねて肌を隠し、峯に上って薪を取り、谷に下って水をくみ、難行苦行の功を積み、ついに悟りを開きました」

 後白河法皇が尼の有り様を見ると、身には見分けもつかない粗末な服を縫い合わせ、着けています。そのような身なりで、このようなことを告げることに不思議を覚え、後白河法皇は、「そもそもお前は何者だ」と問いました。

 尼はさめざめと泣き、しばらくは返事もしませんでした。ややあってから涙を抑えて、「口にするのはおこがましいのですが、故少納言入道信西(高階通憲)の娘で、阿波内侍という者です。母は、紀伊の二位という者。あれほど深く愛されたのに、お忘れになったことを思うにつけても、身の衰えた程が思い知らされ、今更、やるせなく思います」と袖を顔に当ててこらえきれない様子でした。目も当てられません。

 後白河法皇は、「ほんとうにお前は、阿波内侍なのか。すっかり、見忘れたぞ。何事につけても、ただ夢とのみ思えることだ」と、涙を流しました。供奉していた公卿・殿上人も、不思議なことをいう尼だと思っていたので、高階通憲・信西の娘の阿波内侍と知れて、道理だと感じ入りました。

 さて、後白河法皇は、あちこちを見て回りました。庭の千草には露が重く下りて籬(まがき)に寄りかかり、垣の外側の田には水があふれ鴫が降り立つ場所もありません。

 後白河法皇は建礼門院の庵室の中に入りました。障子を開けると、一間には、衆生を浄土へ導く「来迎の三尊」である阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩がありました。阿弥陀如来の手には5色の糸(青黄赤白黒)がかけられています。左には普賢菩薩の絵像、右には浄土宗五祖の一人・善導和尚と、安徳天皇の御影をかけ、法華経七八巻、九帖の御経典も置かれていました。外の匂いとはうって変わり、香の煙が立ち込めていました。かの浄名居士が方丈の部屋の中に3万2千の床を並べ、10方の諸仏を請じたのも、まさにこのような様子だったと思われます。

 障子には諸経典の中の大切な文が、色紙に書かれ、所々に貼られていました。その中に、大江定基法師が五台山北峯の清涼山で詠んだ、「笙歌遥かに聞こゆ孤雲の上、聖衆来迎す落日の前」という文もありました。

 少し離れた場所に、建礼門院の歌とおぼしき書き込みがありました。

  思ひきや深山の奥に住居して

    雲居の月を余所に見んとは

 後白河法皇がかたわらを見ると、寝所とおぼしく、竹の竿に、麻の衣や、紙のふすまなどがかけてありました。それにしても、かつては、日本・中国から類まれなる逸品を集めて綾羅錦繍を尽くした栄光も、さながら夢のよう。後白河法皇は涙を流し、供奉の公卿・殿上人も、以前に見知っていた建礼門院の姿を思い出し、皆、涙を流しました。

 少しして、山の上から、黒衣を着た尼が2人、岩道を伝ってやって来て、下りかねている様子でした。後白河法皇が、「あれは誰だ」と問うと、阿波内侍は涙を抑え、「花がたみ(花をいれる箱)をひじにかけ、岩つつじを取り出して持っている方は、建礼門院です。爪木にわらびを添えて持っているのが、鳥飼中納言維実の娘で、五条大納言邦綱の養女、そして、安徳天皇の乳母の大納言佐局」と告げましたが、いい終わらないうちに泣きだしました。

 建礼門院は、「世を厭う習いとはいいながら、今このような有り様をお見せすることの恥ずかしさよ」と嘆き、消えてしまいたいと思いました。しかし、どうすることもできません。夜毎にすくう仏に供える水に袂はしおれ、暁に起きる袖には山路の露がしみ込んで、絞り出せない様子。建礼門院は山へ戻ることもできず、また、庵室に下りることもできずに、立ち尽くしていましたが、そこに阿波内侍が行って、花がたみを受け取りました。

(2012年2月16日)


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