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ミニシアター通信平家物語 > (391)後白河法皇の大原御幸

(391)後白河法皇の大原御幸

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登場人物:後白河法皇、建礼門院、徳大寺実定、花山院兼雅、土御門権中納言源通親

 壇の浦の戦いの後、建礼門院(平徳子、平清盛の娘、高倉天皇の后、安徳天皇の母)は出家し、大原の寂光院に籠りました。

 後白河法皇は、文治2年(1186年)の春、建礼門院の大原の閑居の住まいを見たいと思いましたが、2月、3月のころは大風が激しく、余寒もいまだ収まっていませんでした。峯の白雪は消えず、谷の氷も解けていませんでした。

 春を過ごし、夏がきて、賀茂の祭りも終わり、後白河法皇は、夜を徹して、大原の奥へ御幸しました。お忍びの御幸でしたが、徳大寺実定、花山院兼雅、土御門権中納言源通親以下、公卿6人、殿上人8人、北面の武士が少々供奉しました。

 鞍馬路を使ったので、後白河法皇は、かの清少納言の曾祖父の補陀楽寺や、後冷泉天皇皇居の小野皇太后宮の旧跡を見物しました。そこから輿に乗りました。遠くの山にかかる白い雲が散った花の形見に見えて、また、青葉の梢には春の名残が惜しまれました。時候は、4月20日ばかりのことなので、繁る夏草をかき分けで進みましたが、大原へははじめての御幸でしたので、道を知っている者もおらず、人の跡が途絶えた形跡を見るにつけても、哀れでした。

 西の山のふもとに、ひとつの御堂がありました。それが寂光院でした。山水を模して作った古い庭園があり、由緒ある場所に見えました。屋根の甍(いらか)が崩れて、辺りを覆う霧が不断の香となり、扉が落ちて月が絶えることのない明かりとなって差し込むといわれますが、まさに、このような場所を言ったのでしょう。庭では若草が茂り、青柳が糸のような葉をからませ、池の浮草が波に漂い、錦をさらしているかと間違えるほど。池の中島の松に藤波が打ち寄せ、紫色の花が咲き、青葉が交じった遅桜は初桜よりも珍しく、岸の山吹は咲き乱れ、八重に立つ雲のすきまから鳴くホトトギスの声も、後白河法皇の御幸を待っていたかのようでした。

 後白河法皇は、詠みました。

  池水に汀(みぎわ)の桜散りしきて

    浪の花こそ盛りなりけれ

 古い岩の割れ目から落ちてくる水の音さえ、ゆかしく趣のある場所でした。緑色の眉墨(まゆずみ)のような山は、絵に描こうとしても筆が及びません。

 さて、後白河法皇は、建礼門院の庵室を見ました。軒には朝顔のつたがはっています。しのぶ草に、忘れ草が交ざって生えていて、『瓢箪(米の入れ物)しばしば空し、草、顔淵(孔子の弟子)が巷に滋(しげ)し、れいじょう深く鎖(さ)せり、雨、原憲(孔子)がとぼそをうるおす』と貧しさに驚いたといわれる故事が思い出されます。

 ふいた杉の皮にはすきまがあり、時雨も、霜も、露も、差し込む月明かりと争って庵の中に入り、防ぎがたく見えました。後ろは山、前は野辺、竹や木でつくった目の粗い垣は風にもてあそばれ、わずかに聞こえてくるものは、峯を伝う猿の鳴き声や、木こりが薪を取る斧の響きだけでした。

(2012年2月16日)


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