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(376)土佐房昌俊

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登場人物:源義経、源頼朝、梶原景時、土佐房昌俊、武蔵坊弁慶

 都の源義経には、源頼朝から大名10人がつけられていましたが、義経が頼朝の嫌疑を買っていると聞き、相談して、一人ずつ、関東へ戻ってしまいました。

 義経は頼朝の弟で、そのうえ父子の契りまで交わし、一の谷、壇の浦まで平家を追い詰めて滅ぼし、三種の神器の鏡と勾玉を無事に都へ持ち帰り、天下を鎮め、四海を征服しました。恩賞が与えられるべきところ、どうして頼朝の嫌疑を買っているのだと、上は帝王から下は万民に至るまで、人々はみな不審に思いました。後になって、その理由は、この春、摂津の国の渡辺で船に「逆櫓(さかろ)」をつけるつけないの論議をした際に、義経からあざ笑われた梶原景時が遺恨を持ち、常々、頼朝に讒言をし、ついに義経を死に至らしめたと伝えられました。

 頼朝は、義経に勢いがつなかいうちに一日でも早く都へ追っ手を送りたいと思いましたが、大名どもを差し向けたら、義経は宇治と勢田の橋を落として、都も騒ぎになり、よろしくないと考え、どうすべきかと悩んでいました。

 そこで、頼朝は、土佐房昌俊を呼び出し、「貴僧が上京し、寺社参りをする様を装い、義経を切って参れ」と命じました。土佐房は畏まって命を受け、宿所へも帰らず、すぐに都へ向かいました。

 文治元年(1185年)9月29日、土佐房は都へ到着しましたが、翌日まで義経の元には参じませんでした。

 義経は土佐房が都へ来たと聞き、武蔵坊弁慶を迎えに出しました。やってきた土佐房へ、義経は、「いかに土佐房、頼朝殿から文はないか」と聞きました。土佐房は、「特段のこともないので、文は書かれませんでした。口頭で伝えよと言われたことは、『現在、都が安泰なのは義経がいるおかげだ。注意して、よく都を守護せよと伝えよ』とのことでした」と答えました。

 義経は、「そうではあるまい。お前は、この義経を討つために上ってきた刺客だ。大名どもを上らせたら、義経が宇治・勢田の橋をおとし、京都も騒ぎになるので、そうなってはなかなかよろしくない。お前が上京して、寺社参詣をする風を装って、だまし討ちにしろと命じられたのだろう」と告げました。

 土佐房は、大いに驚き、「なぜ、今このときにそのようなことがありましょうや。今回の上洛は以前からの宿願の熊野参詣のためです」と答えました。

 源義経は、土佐房昌俊に糺しました。「それなら、梶原景時の讒言のために義経が鎌倉へすら入れず、追い返されて京へ来たことはどういうことだ」

 土佐房は、「そのことについては、どういうことなのか、存じません。昌俊においては、まったく後ろめたいことはございません」と告げ、まったく不忠のない旨を書いた起請文を書いて出す、と告げました。

 義経が「頼朝殿の勘気をこうむっていなかったら、それでよかろう」と、非常に不機嫌に見えたので、土佐房は当面の害を逃れるために、その場で7枚の起請文を書き、あるものは焼いて飲み、別のものは神社に奉納するなどして、ようやく義経の元から戻りました。

 土佐房は、すぐに行動に移りました。諸国から京へ警護のために3年交代で上ってきている大番衆を招集し、その夜のうちに、攻め寄せようとしました。

(2012年2月13日)


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