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(374)源義朝の供養

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登場人物:文覚、兼忠、源頼朝、源義朝

 元暦2年(1185年)8月14日に、文治と改元がありました。

 文治元年(1185年)8月22日、高雄山の文覚上人が、源義朝のたしかな骨として尋ね出したものを首にかけ、弟子に鎌田兵衛の首をかけさせ、関東へ下りました。

 去る治承4年7月に、文覚は、頼朝に、平家への謀反を勧めるため、関係のないされこうべを取り出して、白い布に包み、「これこそ、源義朝のこうべよ」と頼朝に見せていました。頼朝はすぐに謀反を起こし、ほどなく、日本を討ち取りました。(頼朝も文覚の言葉をうのみにしたわけではないでしょうが)、父・義朝の首と言って頼朝に見せたされこうべを、再び、探し出したといって、それを持って、文覚は、関東へ下りました。

 これは源義朝が年来かわいがって使っていた紺屋(藍染職人)の男が、平治の乱ののちは弔う者もなく獄舎の前の苔の下に埋もれていた義朝のされこうべを、そのときの検非違使の別当に申し受けて、『頼朝殿は今は流人ですが、末が頼もしい男です。また、世に出て尋ねることもありましょう』と、東山円覚寺というところに深く埋めて収めておいたのを、文覚が尋ね出して、首にかけ、かの紺屋の男を引き連れて、下ってきたという次第です。

 文覚が今日すでに鎌倉に入ると伝えられると、頼朝は、片瀬川の端まで迎えに出ました。そこから喪服に着替えて、鎌倉へ戻りました。文覚が大床に立ち、頼朝自身は庭に立って、泣く、泣く、父・義朝のされこうべを受け取ったことは哀れです。その様子を見た大名、小名は皆、袖を濡らしました。頼朝は険しい岩山を削り、ただ父の供養のため新たな道場を作り、勝長寿院と号しました。公家もそのことを聞き、故・源義朝へ、内大臣正二位を贈りました。勅使は、左少弁・兼忠。

 源頼朝は名誉が長じたために、身を起こして、源氏を再興したのみならず、亡父の霊にまで、増官増位に及びました。まことに比類ないことです。

(2012年2月13日)


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