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(371)大納言佐殿

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登場人物:平重衡、狩野宗茂、源頼兼、平重衡北の方(大納言佐殿)

 「平家物語巻の十一」では、壇の浦の戦いで平家が滅び、生け捕りにされた棟梁・平宗盛が切られました。

 「巻の十二」は、一の谷の戦いで生け捕りにされていた平重衡が奈良へ引き渡され、切られる様子から始まります。

大納言佐殿

 奈良を炎上させ、興福寺や東大寺を焼いた平重衡は一の谷の戦いで生け捕りにされ、狩野宗茂に預けられ、去年から伊豆の国にいました。奈良の大衆がしきりに重衡を引き渡せというので、源頼政の孫で伊豆蔵人大夫・源頼兼に命じて、奈良へ引き渡されることになりました。

 重衡は京都へは入らず、大津から山科を通って、醍醐路をへて奈良へ行くことになりました。

 醍醐の南の地に、日野という場所があります。日野には、重衡の北の方がいました。北の方は、藤原伊実(これざね)の娘で、五条大納言邦綱の養女、また、安徳天皇の乳母でした。北の方は、大納言佐殿(すけどの)と呼ばれていました。

 大納言佐殿は、重衡が一の谷で生け捕りにされた後は、安徳天皇といっしょにいましたが、壇の浦で海に身を投げました。しかし、源氏の荒くれ武士たちに引き上げられました。故郷に帰り、姉の大夫三位(邦綱の長女・成子)に身を寄せて、日野にいました。重衡の露の命が草葉の末にかかり、いまだ消えたと聞いていないので、あはれ何としても、変わらぬ姿を今一度見て、見せたいと思っていましたが、それもかないませんので、ただ泣くよりほかに慰めもなく、泣き暮らしていました。

 奈良へ向かう途中で、重衡は、護衛の武士たちに告げました。

「それにしても、この度の各々方の情けは深く、芳恩はありがたく思っています。されば、最後にもう一つ、芳恩を被りたいことがあります」

「私には子がないので、浮き世に思い残すことはありませんが、年来、契った女房が日野という所にいると聞きました。今一度、会って、後生のことを頼みたいと思うのですが、どうでしょう」

 重衡が頼むと、武士たちも岩や木ではありませんので、皆、涙を流し、「女房どののことなら、苦しいことはありません。ぜひ、ぜひ」と許しました。

 重衡はたいへんよろこび、日野を訪れました。

 重衡は人を遣わして、「こちらに、大納言佐局がいらっしゃいますか。ただ今、奈良へ向かっている本三位中将・平重衡殿が、会いたいと申しています」と伝えました。

 大納言佐局が「どこに、どこに」と走り出て来ると、痩せて黒ずんだ男が、藍色の直垂と、折烏帽子姿で、縁に立っていました。それが、重衡でした。

 大納言佐局は、御簾の際近くまで出て、「なんと、なんと、夢か現(うつつ)か、こちらへお入りください」と告げました。その声を聞くにつけても、先立つものは涙です。大納言佐殿は、涙に目がくれ、心も消え果て、しばらくはものも言えませんでした。

 重衡は、御簾を上げ、半身を御簾の中に入れ、泣く、泣く、語らいました。

「去年の春、摂津の国の一の谷で死ぬべきだったところ、よほど罪が重かったのか、生け捕りにされ、京と鎌倉で恥をさらした。それのみならず、果ては奈良の大衆に引き渡され、切られるべしと、ここまで来た」

「あはれ、何としても、変わらぬ姿を今一度見て、見せもしたいと思っていたので、今はもう浮き世に思い残すことはない。ここで頭を剃り、形見に髪の毛をお渡ししたいが、このような身になっているので、心のままにそうもできない」

 重衡は、そう告げ、額の髪の毛をかき分け、口にかかった髪の毛を少し歯で切り、「これを形見にして下さい」と渡しました。大納言佐殿は、覚束なく過ごしていたいつもよりも思いが込み上げたのでしょうか、うつ伏してしまいました。

 大納言佐殿は、ややあってから、涙を抑えて告げました。

「二位の尼殿(清盛妻、安徳天皇を抱いて入水)、越前三位殿(平通盛北の方、入水)のように、水の底にも沈むべきですが、あなた様がほんとうにもうこの世にはいない人とも聞いていないので、変わらぬ姿を今一度、見たいし、見せたいと思ってこそ、憂きながら、今日まで生きてきました。今まで生きてくることができたのは、もしやあなた様に会えると思っていたからこそ。かくなるうえは、今日を限りになりましょう」

 そのように、昔のこと、今のことを伝えても、ただ尽きないものは涙ばかりでした。

 大納言佐殿は、「あまりにみすぼらしいお姿です。着替えて下さい」と、袷(あわせ)の小袖を上下に着るように白い狩衣を添えて、浄衣を出してきました。重衡は着替えながら、来ていた服を「これも形見にしてください」と渡しました。大納言佐殿は、「それも形見になりましょうが、ちょっとした筆跡こそ、後の世までの形見になります」と、硯(すずり)を出してきました。

 重衡は、泣く、泣く、一首の歌をしたためました。

  せきかねて涙のかかるから衣

    後の形見に脱ぎぞ替えぬる

 大納言佐殿は、返歌を詠みました。

  ぬぎかふる衣も今は何かせむ

    今日を限りの形見と思へば

 重衡は、「契りがあれば、後の世でも必ず生まれ変わって再会することができる。一蓮託生を祈りたまえ。日が暮れた。奈良へは遠いので、護衛の武士を待たせるのも悪い」と立ちました。大納言佐殿は重衡の袂にすがり、「いかに、あと少し」と引き留めました。

 重衡は、「心の内はお察しします。しかし、やがては、失われる身なので」と、思いを断ち切って、出発しました。ほんとうにこれが最後だと思うと、今一度帰りたくなりましたが、心が弱くてはいけないと思い、思い切って、門を出ました。

 大納言佐殿は御簾の外まで迷い出て、わめき、叫びました。その声が門の外まで届き、重衡は涙にくれて、目がふさがってしまいました。馬を早めることもできません。なまじ会ったために心苦しい対面だったと、今は、後悔していました。

 大納言佐殿はすぐに走り出して追いかけたいと思いましたが、さすがにそれはせず、打ち伏して涙にくれました。

(2012年2月10日)


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