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ミニシアター通信平家物語 > (347)佐藤嗣信

(347)佐藤嗣信

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登場人物:平教経、源義経、伊勢義盛、佐藤嗣信、佐藤忠信、江田源三、熊井太郎、武蔵坊弁慶、菊王丸

 平家方の越中盛嗣と、源氏方の伊勢義盛らの舌合戦が終わると、平教経が「船いくさには、船いくさのやり方があるのだ」と、直垂をつけず、唐巻染めの小袖に、唐綾縅の鎧を着け、いかめしく造った太刀を帯び、24本指した鷹の羽の上下の薄黒く且つ真ん中にもくま鷹の羽のような薄黒い文のあるものではいた矢を背負い、滋藤の弓を持ちました。教経は王城一の強弓、強兵なので、教経の矢先に立たされた者はみな射落とされました。

 教経は、並み居る源氏の中でも大将軍の義経を一矢に射落とそうと狙いました。が、源氏方でも心得ていて、伊勢義盛、奥州の佐藤嗣信・佐藤忠信、江田源三、熊井太郎、武蔵坊弁慶などという一騎当千の強者どもが、馬の頭を一面に並べ、義経の矢面に立ち、義経を守りましたので、さすがの教経も、義経を射ることはできませんでした。

 教経は「そこを退け、矢面の雑人ども」と、矢をさんざんに射てきました。矢面に立った鎧武者が10人ばかり落とされました。中でも、真っ先に前に出た佐藤嗣信は、左の肩から右のわき腹まで射抜かれ、少しも持ちこたえることができず、馬から逆さまに落ちました。教経の童の菊王丸という怪力の者が、萌黄縅の腹巻に、錣(しころ)の3枚ある甲の緒を締め、きたえ打った太刀をさやから抜いて、嗣信の首を掻こうと飛び掛かってきました。

 しかし、嗣信のそばにいた弟の佐藤忠信が、兄の首を取らせまいと、矢をつがえ、ひょうと放ち、菊王丸の腹巻の草摺りを射ぬきました。菊王丸は、前かがみに倒れました。それを見た教経が、左手に弓を持ったまま、右手で菊王丸をつかんで、船に投げ入れました。菊王丸は、敵に首を取られることはありませんでしたが、深手を負っていたので、死にました。

 菊王丸は、もとは平通盛の童でしたが、通盛が一の谷の戦いで討たれたので、教経に使われていました。生年18歳といいます。菊王丸を討たれた哀しさでしょうか、教経は、その後は、いくさをしませんでした。

 源義経は、佐藤嗣信を陣の後ろへ連れて行き、急ぎ馬から飛び降り、嗣信の手を取り、「どんな具合だ、三郎兵衛」と聞きました。嗣信は、「今が最後と覚えます」。義経が「この世に思い置くことはないか」と尋ねると、嗣信は答えました。

「思い置くことが別にありましょうか。そうは思いますが、義経殿が世に出ることを見ないで死ぬことこそ心残りです。しかし、弓矢取る者が、敵の矢に当たって死ぬことはもとより覚悟のうえ。そのうえ源平の合戦で、奥州の佐藤三郎兵衛嗣信という者が讃岐の国の屋島という場所で主の命に代わり討たれたと、末代までも物語られることこそ、今生の面目、冥途の土産です」

 そう告げた佐藤嗣信は弱り果てました。源義経は、心猛き武士ですが、あまりに哀れに思え、鎧の袖を顔に押し当てて、さめざめと泣きました。それから、「もし、この辺りに高貴な僧はいないか」と尋ね出させ、「負傷者が今、死んだ。一日、経を書いて、弔ってください」と、よい鞍を置いた黒い太馬をお布施として僧に与えました。

 この馬は、義経が五位尉になったときに、馬も五位として、大夫黒と名づけた馬でした。義経は、この馬に乗って、鵯越(ひよどりごえ)の坂を落ちました。嗣信の弟・忠信をはじめとして、これを見た侍どもは皆、涙を流し、「義経のためなら、命を捨てても、露ほども惜しくない」と言いました。

(2012年2月6日)


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